佐治敬三氏とブロードウェイの強い絆~ミュージカル界の先達(パイオニア)たち 第12回 | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

佐治敬三氏とブロードウェイの強い絆~ミュージカル界の先達(パイオニア)たち 第12回

ジェラルド・ショーンフェルド(1924~2008)。ブロードウェイ最大の劇場オーナー、シューバート・オーガニゼーション会長を35年間も務めた。いわば米演劇界の大ボスだが、その回想録「Mr. Broadway」に唯一登場する日本人がいる。Keizo Saji、サントリー社長、会長として知られた佐治敬三氏(1919~99)である。

 

『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』(89年トニー賞最優秀ミュージカル作品賞)という舞台がある。『ウエスト・サイド物語』『屋根の上のヴァイオリン弾き』など超名作のアンソロジーである。

 

ショーンフェルド氏とロビンスがこの作品について話し合いを始めて間もなく、ニューヨーク・サントリーの代表者5人がショーンフェルド氏のもとに同作への出資話を携え現われた。氏の答えはノー。ただし複数作品への投資なら考えないでもないという留保付きだった。

 

「おいしい桜んぼだけのつまみ喰いはご勘弁を」

ということである。

 

日を置いてサントリーから別の顔ぶれの5人がやって来たが、事態が変わるわけでもなかった。

 

サントリーがこれほどブロードウェイへの投資に固執した背景には、同社銘柄メロン・リキュール、ミドリの全米市場での販売促進があったのかもしれない。

 

しばらくのち、ニューヨーク訪問中の佐治敬三氏から面談の申し込みがあった。サントリーは『ダンシン』招聘を手掛けたことがあり、ショーンフェルド氏とは旧知の仲であった。いきなりショーンフェルド氏とハグする佐治氏に誰より驚いたのは、サントリー側のお付きたちだったにちがいない。

 

前の二回と同様の趣旨を繰り返すショーンフェルド氏に、佐治氏は24時間の猶予を頼んだ。そして翌朝、佐治氏からイエスの返事が届く。トップの決断である。

 

かくてサントリーは、『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』初め『シティ・オブ・エンジェルズ』『ワンス・オン・ジス・アイランド』などにも投資をおこなうことになる。幸いどの作品も秀作に仕上がり、佐治さんもサントリーもほくほくだったにちがいない。

 

1991年、サントリーは、全11週間に及ぶ『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』日本公演を実現させた。ロビンス・ダンスの躍動感とコミックな側面と両方が味わえるすばらしい舞台だった。

 

ロビンスもやって来たが、佐治邸での会食に行かないと言い出すなど、ともに来日したショーンフェルド氏を手古ずらせる一幕もあったようだ。

 

『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』は、大人数の出演者、豪華な舞台装置と多分に金喰い虫のきらいがあった。もちろん利益など出るわけがない。ほんもののブロードウェイを日本へ、このコケの一念あればこそ、佐治氏はこの大プロジェクトをなし遂げることができたのだろう。

 

  (「シアターガイド」2015年4月号より転載)