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お洒落なフリー・マガジン「コモ・レ・バ?」が、早田雄二さんの越路吹雪ポートレートを特集することになり、私も越路の思い出を寄稿いたしました。早田さんは昭和を代表する“婦人科”名カメラマンです。女優も歌手も早田さんに撮ってもらい、初めて本物のスターの資格を得ると言われたくらいでした。雑誌を手にとって早田ポートレートをご覧になりたい向きは下記へどうぞ。

 

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越路吹雪は、素顔のときはともかく、歌手、女優としては顔立ち、からだつき、仕草、雰囲気などのすべてがとてもバタ臭かった。西洋人の血が入っているように見えるというのとはちょっと違うのだけれど、どこか日本人離れした個性、芸風を感じさせるところが多分にあった。

 

シャンソンにしてもブロードウェイ・ミュージカルにしても、越路が挑戦したジャンルは、西洋からの輸入ものだったから、この非日本的な特性が大いに役立たないはずがなかった。

 

もっとも越路本人は、『王様と私』のイギリス人家庭教師にしても『アプローズ』のアメリカ人女優にしても、西洋人女性を演じている意識はまったくなかったのではないか。昔の新劇女優によくありがちだった西洋人らしく見せるという安手のリアリズムとは、はなから無縁だったと思われる。

 

一ヶ月分の切符があっという間に売り切れてしまう日生劇場での伝説的なリサイタルでは、越路はイヴ・サンローラン、ニナ・リッチのオートクチュールを見事に着こなしてみせた。頬高で両あごが張った顔立ち、1メートル70センチ近くあった高いタッパとパリの超一流ブランドのドレスとが、実にぴったりマッチングしていた。とくに背中を大きく開けたイヴニングドレスがとてもよく似合った。

 

幸いこのふたつの超有名銘柄のドレスについては、パリの本店が承認する仕立て人が東京にいたので、越路は堂々とプレタポルテではないオートクチュールのドレスを着ることができた。本店のほうも彼女ならオートクチュールを着るにふさわしい女性という認識があったにちがいない。

 

ドレスひとつとっても越路は日本女性の枠を遥かに超えていたのである。

 

日生のリサイタルというと、アンコールのときの姿が目に浮かぶ。

 

最後の曲を歌い終えると、舞台の左右から幕がするすると出て来て、その夜の主役の姿はいったん見えなくなる。客席ではすさまじい拍手が鳴りやまない。一分、二分、三分……じゅうぶん間を置いて、中央で合わさった幕と幕の間からするりと長身の越路が現われる。満面にたたえた笑み、きらきらと輝くふたつのまなこ……。その姿は今も私の胸深く刻み込まれている。

 

そう、よく越路はアンコールで片膝ついてこうべを垂れるポーズをとった。それがまた実にさまになっていた。あれはまさに彼女の専売特許で、もしほかの歌手が真似したらぶざまで見ていられなかったろう。

 

越路吹雪は、多分はなからフランス語の発音は苦手と思っていたにちがいない、すべて日本語でシャンソンを歌った。悲しい歌、陽気な歌、なにを歌っても、シャンソン独自のエスプリにあふれた旋律に日本語歌詞を載せるのが驚くほど巧みだった。天が授けた名人芸と言ってもいい。

 

もちろん一心同体だった“座付”作詞家岩谷時子の存在も無視するわけにはいかない。

 

越路は、「愛の讃歌」「枯葉」「水に流して」などエディット・ピアフのシャンソンを好んでレパートリーにとり入れていたが、曲の解釈、表現ということでは“ご本家”とは大きく異るところがあった。シャントゥーズ・レアリスト(現実派女性歌手)の代表格ピアフのように、歌に暗い影がつきまとうということが、ほとんどなかったのだ。

 

私は、越路の存命中から彼女を“大輪の薔薇”になぞらえてきた。姿かたちが大柄だったということだけではない。その表現のベクトルが常にいい意味で外向的だったからだ。その発するオーラがなんと眩しかったことか。

 

この私の“越路吹雪”小論は、彼女のバタ臭さから説き起こしたが、ラストにそれと相矛盾する彼女の特色をつけ加えておく。実は彼女、和服もよく似合った。ミュージカル女優としてのデビュウ作『モルガンお雪』で彼女が演じたのは、アメリカ人の大富豪と結婚する祇園の芸妓お雪さんだったが、ちょっと抜き衣紋にした首筋あたりの色気と言ったら……。60年前の舞台(1951年2月帝劇で初演)なのに忘れようにも忘れられない。

 

越路吹雪は私の記憶のなかでは不動の現役であり続けている。

 

        (「コモ・レ・バ?」 Vol.22より転載)