越路吹雪が日生劇場で初めて演じたミュージカルは『結婚物語』であった(1969年1月)。出演者がたったふたりの異色作で、越路の相手役は平幹二朗がつとめた。浅利慶太が演出を手掛けた最初のブロードウェイ・ミュージカルでもある。

 

1963年に開場したこの劇場は最新の舞台設備と美しい外装・内装を誇り、既成の興行会社、劇場からはつとに疎まれていた。その日生への宝塚出身、東宝育ちの越路の登場である。すでに専属契約は切れていたはずだが、古巣の東宝にすれば面白かろうはずがない。

 

なるほど日生での越路リサイタルは65年からおこなわれていた。しかし、ミュージカルともなれば、東宝関係者の見る目は別だったのではないか。

 

『結婚物語』上演の何ヶ月か前だから、68年夏か秋のことだったと記憶する。その日、私は東京宝塚劇場に宝塚の何組かの公演を見に出掛けた。たまたま私は通路際の席にすわっていたのだが、開幕直前、うしろから足音が響いて来たと思ったら、突然、「アベくん、アベくん」と声を掛けられた。

 

思わず振り返ると、驚いたことに東宝の松岡辰郎社長ではないか。しかも藪から棒に、

「あのなあ、コーちゃんの相手役になんと言ったか平……」

「ああ平幹二朗ですか」

「そやそや、結構歌えると聞いたもんやから。(岩谷)時子さんにでも言うといて」

 

それだけ言われると、また、すたすたと最後列の自分の席に戻って行かれた。ほんの一瞬の出来事であった。

 

幸い私は松岡社長と年齢差を超えて親しくさせていただき、なんども銀座のバーにもお供している。そのたびにかならず登場するのが越路の話題だった。彼女の希有の個性、才能をふたりで競って褒めそやしたものだ。多分、彼女がもうひとつ相手役に恵まれないという話も出たにちがいない。

 

確かに新劇の俳優座出身という平と“ミュージカルの女王”という組み合わせは新鮮で魅力にあふれている。私が松岡社長のアイディアを越路のマネジャー兼作詞家の岩谷時子さんに伝えたか、すでに忘却の彼方だし、ましてやこのキャスト案が、なんらかの経路を経て『結婚物語』の配役に生かされたのかどうか、知る由もない。

 

しかし、松岡社長が東宝トップという立ち場を超え、越路を親身に思っていたことだけは、この一件からも十分推測出来る。まぎれもない精神的パトロナージュであった。

 

松岡辰郎氏は阪急・東宝の創設者小林一三氏の次男、松岡は養子先の姓。売れっ子の松岡修造は氏の孫に当たる。74年没。

           ( シアターガイド」2015年1月号より転載)



越路も平も若いですね。