菅原文太の俳優デビューは劇団四季のフランス芝居だった。 ジャン・ジロドゥ作、米村晰訳『間奏曲』。1954年12月17~19日、全5回公演。飛行館ホール。
『間奏曲』は20世紀の劇詩人ジロドゥが書いたファンタジック・コメディで、フランスの田舎に突然現れた美男の幽霊をめぐって、役人や町の人々が大あわてをする有様が描き出される。菅原の役は首斬り役人Ⅰ、端役だが、歌も歌った(作曲:間宮芳生)。演出はもちろん浅利慶太。
「劇団四季半世紀の軌跡」(日之出出版)というインタビュー集がある。劇団四季内外の関係者62人がこの劇団のその時々の出来事を証言している。北大路欣也、石坂浩二、前田美波里、三木たかし、森英恵、成田豊(元電通社長)、中曽根康弘、山口淑子ら多彩な人々が、こもごもに隠されたエピソードを語っている。聞き手はすべて不詳私が相務めた。以下、菅原の章より。
菅原と四季とが出合うきっかけを作ったのは、同じ宮城出身の舞台美術家金森馨だった。
「お互いろくに住む所も金もないって境遇で気が合ってね。金森が、『お前、何してんだ?』って聞くから、『何もしてないよ』って言ったら、『ま、劇団でも入るか』って(笑)」
「大事な芝居に出ていたにしては、浅利さんに申し訳ないけれど、かなりいい加減な俳優だったと思うよ。”首斬り役人の歌”ってのがあって、これもきっと調子っぱずれでひどい歌だったろうと思うなあ(笑)」
「悪いことしたよね(笑)。でも音楽の素養なんてまったくないし、オタマジャクシも読めないんだから。きっと丸覚えして、なんとなくモゾモゾ歌っていたんだろうと思うね」
実は私は、この菅原の俳優デビューをしっかりこの目で見ている。小さな役だったが、図体が大きかったせいか、結構目立った。歌もドスがきいていた。持って生まれたスターの素質があったのだろう。
まる60年前の遠い遠い昔の思い出である。
くわしくはこの本のこの頁をお読みいただきたいと思います。