歌手も焼け跡闇市派は強くたくましい。米軍キャンプ回りで鍛えられた実力が身についている。

 

 その典型が雪村いづみだろう。

 

 もうひとつ彼女には、戦後日本を思いっ切り明るくしてくれた元祖“三人娘”としての輝かしいスター歴がある。美空ひばり、江利チエミなき今、ただひとりの生き残りである。

 

 その雪村いづみが、喜寿と歌手歴60年を祝うコンサートを開いた。11月18日、於渋谷さくらホール。

 

 プログラムは多彩を極める。いちばん最初に覚えた英語の歌「ビコーズ・オズ・ユー」、初レコーディングの「想い出のワルツ」、ひばりの「悲しき口笛」、チエミの「テネシー・ワルツ」と次々に歌い継いでいく。なにを歌っても骨格がしっかりしている上、柄がすこぶる大きい。伸びやかで張りのある声はまったく年齢を感じさせない。

 

 歌いぶりもノドも現役そのものだ。

 

 ハイライトはふたつ。ひとつはジェスチャアたっぷりに歌う「踊りあかそう」(『マイ・フェア・レディー』より)で、ものの見事イライザになり切っていた。彼女がただの歌手ではなく、優れた女優でありエンターテイナーであることを示した一瞬でもあった。

 

 もうひとつは、特別出演の前田憲男のピアノ伴奏で歌った「スターダスト」か「スワニー」かのいずれかだが、散々迷った挙げ句、「スワニー」をとることにした。「スターダスト」の連綿たる抒情も捨てがたいが、「スワニー」の鮮やかなショーマンシップに彼女の60年のキャリアが凝縮していると見たからだ。とりわけ自在に声をコントロールする高度な歌唱力には圧倒された(無意識のテクニックで、本人はどこまで意識してやっているかわからないけれど)。

 

 いづみが当日のお喋りのなかで繰り返し強調していたことだが、彼女にはふたつの幸運な出会いがあった。ラスヴェガスでナンシー・ウィルソンのヴォイス・トレーナーについたこと、前田憲男に編曲してもらうようになったこと、このふたつである。

 

歌手の命は、ヴォイス・トレーナーと編曲家に握られているということでもある。いづみのこれまでの一生はかなりアップダウンの激しいものだったが、歌手としてはラッキーと言えるかもしれない。

 アンコール曲は意表を突いて「ひこうき雲」。この曲はもともと彼女に当てて書かれたものだったという。

  

 バックバンドはピアノ、ドラムス、ベース、キーボードの四重奏団。司会は島敏光。島はジャズ歌手 笈田敏夫の子息なので、ジャズにくわしい。いづみをうまくリードしていた。


      当日のプログラムです。

     終演後、楽屋でのツーショットです。