蜷川幸雄さんが、朝日新聞夕刊に連載している自らのコラム「演出家の独り言」(11月7日付け、隔週金曜日)でイケメン俳優をとり上げていた。題して“イケメン俳優人気への憂い”。さすが日本一の演出家、感服する考察だった。

 

 いわゆるイケメン俳優を自らの舞台に起用した体験に基づいている。あえてその芝居の題名を挙げていないけれど。

 

 蜷川さんの関心は、観客の若い「女の子たちの欲望」と彼等の「どこと交錯するのだろうか?」というところにある。

 

 蜷川さんは次のように書く。

 

「不思議なことにみんな似ているのだ。顔をちょっといじったような若者の行列だ。

 なんだこれは!

 このサイボーグのような、マネキンのような若者たちは、みんな真面目で稽古熱心だ。しかし、まったくといっていいほど教養がない。漫画とテレビは見るが、ほとんど本は読まない。知らないことを、恥ずかしいことだとは思っていない。チェーホフだって、シェークスピアだって、三島由紀夫だって読んだことない。凄い」

 

野暮を承知で注釈を付け加えるならば、この「凄い」というひとことが効いている。賛嘆?詠嘆?いささかの皮肉?

 

蜷川さんは、このような若者たちの「漂流」、プロダクションの「商品化」に目を向け、「なぜ若い女の子たちは、このようにしてイケメン俳優を食べて、捨ててしまうのか」と疑問を投げかける。

 

なるほど、女の子たちがイケメン俳優の出演する芝居を見に来るというのは、彼らを「食べ」「捨ててしまう」ことなのだ。

 

蜷川さんはコラムを次のように締めくくっている。

 

「ぼくは複雑な思いで空を見あげる。やがてくる冬を予感するように、どんよりと曇っている」