人と音楽(55) 岸田今日子さんと『待ちましょう』
岸田さんは絵が大好きな文学少女だった。漠然と舞台装置家を志して文学座の研究生になった。もともと人見知りするたちだったから、女優なんてとてもと思っていたのに、昭和二十五年、福田恆存作『キティ颱風』に抜てきされる。評判も悪くはなかった。
しかし、父親の劇作家、岸田国士氏は、彼女がこのままずるずると女優の道に入ることを許さなかった。本気でやるのなら少なくとも三年はパリで勉強するようにと足かせをはめてしまったのだ。
というわけで、岸田さんは本気でフランス語の勉強をはじめるようになる。東大仏文科にも、もぐり?の聴講生として通い、辰野隆、鈴木信太郎氏ら碩(せき)学たちの講義も聴いた。
「シャンソンもいっぱい覚えました。戦前からはやった『ジャタンドレ』とかね」
彼女の唇からこぼれるフランス語は、たとえ短い歌の題名でも美しく可愛く響く。
蛇足ながら、このシャンソン、『待ちましょう』の訳名で知られる名曲である。
昭和二十九年、国士氏の突然の死によって、岸田さんは父から義務付けられたフランス留学から解放される。
しかし、彼女のエスプリあふれる演技と、かつてのフランス語の勉強とは、決して無縁ではない。
(1991年5月5日、産經新聞)
(追記)
岸田今日子さんは、2006年没、享年76。舞台、映画、テレビの出演、数知れず。
テレビドラマ『男嫌い』、映画『砂の女』で一時代を画した。知的かつ独特の色気の漂う女優だった。