ミュージカルになる前のもとネタの映画『雨に唄えば』(1957)を、私たちは映画館でテレビ放映でビデオでレーザーディスクでDVDでブルーレイで見て来た。伝達手段は変われど強いコンテンツはいつだって強い。

 

 ジーン・ケリーがずぶ濡れになって踊る雨の夜の街頭シーンは、忘れろと言われたって忘れられるはずがない。街灯にからみ雨傘を振り回して踊って踊って踊りまくる。恋の喜びを物語る狂喜乱舞だが、それが一種の芸の高みに到達しているところに注目を。

 

 というわけで、この映画が舞台化され、上演される場合、あのジーン・ケリーの役を誰がやるのと、その点がまず気になってしまう。今回のウエスト・エンドからの来日版ではあのアダム・クーパーが演じる。現時点では技倆、スター性から言ってこれ以上の人材は見つけにくいだろう。

 

 アダム・クーパーは、ロイヤル・バレエで頂点を極めたダンサーである。しかし、もともと古典バレエの領域にとどまる人ではなかった。ちょっぴり映画『リトル・ダンサー』に顔を出したあたりから、ぐんぐん顔と名前が売れていった。ブロードウェイ・ミュージカルの古典だが、クラシック・バレエの素養がないと踊れない『オン・ユア・トウズ』の主役にも挑戦している。

 

 そしてなにより『マシュー・ボーンの白鳥の湖』である。イギリス皇太子と熱烈な恋に落ちるゲイの白鳥を演じ、一挙に世界のバレエ界の地図を塗り変えてしまう。マシュー・ボーンの振付・演出も、もちろん凄かった。しかし、アダム・クーパーという役柄にぴったりの踊り手がいなかったら、この“革命”は起こらなかったろう。

 

 ところで、ミュージカル『SINGIN'IN THE RAIN 雨に唄えば』の主人公ドン・ロックウッドである。1920年代後半、映画がサイレントからトーキーに移行しつつあったハリウッドの人気スターなのだから、おのずとその時代の香りが漂って来なくてはならない。イギリス人で、クラシック・バレエのもと貴公子というキャリアのクーパーが、そのあたりの役作りをどう工夫するか?

 

 それにしてもアダム・クーパーのダンサー人生は逞しいのひとことに尽きる。大抵のバレエ・ダンサーは、ある程度の年齢に達すれば必ず現役からは引退せざるを得ない。引退後はうまく行って振付家、せいぜい後進の指導に当たるというのが、まあ普通に辿る道だろう。

 

 芸術の世界からエンターテインメント界へ、その棲み替えがきわめてスムーズにいった点で、アダム・クーパーはダンサーとして例外中の例外の存在だと思う。素質もあったが、歌と演技を勉強し身につけた努力も見逃せない。

 

 主題曲「雨に唄えば」について少々――。この曲はトーキー初期の映画『ハリウッド・レヴィユー』(1929)のなかの一曲で、作詞アーサー・フリード、作曲ナシオ・ハーブ・ブラウン。そんな古い曲なのに、今、聴いても新鮮な魅力にあふれている。

 

フリードはのちにハリウッド切ってのミュージカル映画の大プロデューサーとなり、『踊る大紐育』『巴里のアメリカ人』などを世に送り出す。『雨に唄えば』もそのひとつである。

 曲に歴史あり、人に歴史あり。

(コモ・レ・バ? 2014 Autumn Vol.21より転載)

 見せ場の雨中のシーンです。

  Images by Manuel Harlan