商業演劇、ましてや歌手の座長芝居とはとんとご無沙汰だった。新橋演舞場の玄関をくぐること自体、異郷に足を踏み入れるような気分に思えた。

 

 出掛けたのは、9月の演舞場、舟木一夫特別公演『八百万石に挑む男―天一坊秘聞―』(齋藤雅文脚本、金子良次演出)、『シアターコンサート』(音楽監修杉村俊博)である(9月3日夜の部、所見)。

 

 1966年以来、舟木が続けて来た座長公演は、今回で80回、おめでたい節目を迎えた。しかも、ことし12月12日は本人の70歳の誕生日だというではないか。

 

 私は、63年、「高校三年生」(丘灯至夫作詞、遠藤実作曲)を引っ下げてデビュウした当時の舟木を、この目でしっかりと見ている。清楚な歌いぶり、前髪を垂したヘアスタイル、金ボタン、詰め襟の学生服姿が今更のように懐しい。

 

 今日なおスターの座を保ち続ける舟木に心から拍手を贈りたい。と同時に、私自身が、その元気な彼の舞台姿を見られたということも、喜ばしいことだ。その間に流れた歳月は50年を超えるわけだから―。

 

 『八百万石に挑む男』の舟木を見て、その堂々たる役者ぶり、緩急を心得た演技に少なからず満足がいった。彼の芝居は歌手の余技ではない。一座を引っ張っていけるだけの役者としての体験、技倆、風格が備わっていると見た。

 

 舟木は、中学生のとき、今回の芝居の下敷になっている同名の東映映画を見て、天一坊を操る蔭の男、山内伊賀之亮を演じる市川右太衛門に「おーっ、貫禄だなー」と感じ入ったということだ。そうか、今や舟木は右太衛門と同じ役回りを務めることが出来る地点に到達したわけか。

 

 彼のやや長目の顔立ちはカツラがよく似合う。爽やかな立ち姿、鮮やかな殺陣も文句なし。内に野心を秘めた一筋縄ではいかない伊賀之亮を味わい深く演じていた。タイトルロールを演じる尾上松也にちゃんと花を持たせ、自らが必要以上に前へ出ない心配りも、さすが年の功だ。

 

 『シアターコンサート』は、全体の構成、一曲々々の歌いぶりとも大上段に振りかざしたところがなく、坦々と(あるいは淡々と)歌い継いでいく。「絶唱」も決して“絶唱”しないし、「哀愁の夜」も過度に“哀愁”を強調したりしない。

 

 日本の歌謡曲の原点をさぐるかのように「波浮の港」「船頭小唄」をとり上げたのも、よくぞと言いたい試みである。

 

 もちろん「高校三年生」「仲間たち」「学園広場」は永遠のヒットソングとして微動だにしない。曲自体も舟木の歌唱もなんと瑞々しいことか。

 

 昭和歌謡にはド演歌にもないJPOPにもない独特の暖かみがある。舟木がそれを表現し得る第一人者であること間違いなし。

  

(オリジナル コンフィデンス  2014/9/22号コラムBIRDS EYEより転載)