フランス文学の秦斗、河盛好蔵先生は、日本文学についてもきわめて深い造けいの持ち主である。文壇人ともひとかたならぬ交友を重ねてこられた。

 

「(正宗)白鳥先生は、ことのほか歌舞音曲がお好きでいらっしゃった。実はわたしもそうなんです。」などという何気ないつぶやきも、ズシンとした重みをもって迫ってくる。

 

 河盛先生の大阪府・堺中学の一年後輩に、後にピアニスト、作曲家として一家をなす宅孝二氏がいた。

 

「宅君のピアノ伴奏で、五年生のときでしたか『早春賦』を歌った思い出があります」

 

 ふたりは、後年、ともにパリに留学し、かの地で思う存分ワインを酌み交わし、芸術を語り合ったという。

 

『早春賦』の日本的叙情をこよなく愛される半面、西洋音楽の高揚感、あるいは諧謔味にも捨てがたい魅力を感じてこられた。

 

 なかでも大正初期、浅草オペラが生んだ大ヒット曲、『ベアトリ姐ちゃん』は、おはこのひとつである。

 

 文士劇華やかなりしころ、東京宝塚劇場でオーケストラをバックにこのアリアを歌ったところ、当時の文芸春秋社長、佐々木茂索氏に「出だしから伴奏とぴったりとは玄人はだし」と褒められたということだ。

 

       (1991年3月24日、産經新聞)

 

(追記)河盛好蔵先生(1902~2000)はフランス文学研究における多大の功績により、生前、文化勲章をを授けられた。大知識人にして、遊びの達人でもあった。