ハリウッド女優ローレン・バコールが、8月12日、世を去った。享年89。スクリーンからだけではなくブロマイドからでさえ感じられる艶っぽい目線(the look)が、魅力のひとつだった。ザ・ルックがそのまま愛称になったのも不思議ではない。それとあの低音のしわがれ声。

 

 ニューヨーク・タイムズの記事に、「その死は息子のスティーヴン・ボガートによって確認された。」とあったのが、すこぶる印象深い。彼は、その姓から知れるように、バコールの最初の夫ハンフリー・ボガートの長男だからだ。

 

 バコールはデビュー作『脱出』(1944)でボガートの胸を借りたこともあり、一躍スターダムに躍り出る。45年、ふたりは結婚する。新郎45歳、新婦20歳で25歳違い。しかし公私ともに40~50年代のハリウッドを代表するおしどり夫婦あった。57年、ボガートが癌に侵され死別するまで、しあわせな結婚生活を送った。

 

 彼女の出演した映画は40本くらいか。なかでもボガートとの共演作4本、すなわち『脱出』、『三つ数えろ』(46)、『潜行者』(47)、『キー・ラーゴ』はmust seeであろう。訃報に接してDVDで『三つ数えろ』を再見したが、その知的美貌と繊細かつふてぶてしい演技に改めてとりこになった。

 

 私は、一回だけ彼女の主演するブロードウェイ・ミュージカルを見ている。映画『イヴの総て』(50)を舞台化した『アプローズ』。1970年1月、パレス劇場だった。翳(かげ)の差しかかった中年女優を演じて、確固たる存在感を示し、実に見事なものだった。

 

『アプローズ』は、70年3月開幕、896回のロングラン記録を残しているばかりか、70年トニー賞で作品賞、ミュージカル主演女優賞(もちろんバコール)、演出賞、振付賞と四部門を制覇している。

 

 のちに日本でこのマーゴ役を越路吹雪が演じているが、ブロードウェイでの観劇体験をもとに、私が強力に薦めたからでもある。

 

 バコールは一回だけ来日している。84年10月、自伝「私一人」(山田宏一訳、文芸春秋刊)が出版された折、そのキャンペーンのためにやって来た。その際の共同記者会見に潜り込ませてもらい、個人的にも話をした。赤坂プリンスホテルの一室だったと記憶する。

 

 きつめの視線、セクシーな声は映画で見て来た通りのものだった。自伝の原著書「By Myself」、彼女の主演した二本のブロードウェイ・ミュージカルのプレイビル(無料の劇場パンフレット)『アプローズ』『ウーマン・オブ・ジ・イヤー』(81)を持参しサインしてもらった(『ウーマン・オブ・ジ・イヤー』で彼女は二度目のトニー賞ミュージカル主演女優賞に輝いている。私はプレイビルは持っているものの、未見)。

 

 三つ目のサインなったとき、彼女は、「あんた、いくつサインさせる気なのよ」と私をにらみつけたが、決して不快そうには見えなかった。
           

 

 

           配役表にサインしてもらいました。
 
 

 息子のスティーヴンは母の死にあたり、先のニューヨーク・タイムズの記事で“She lived a wonderful life, a magical life”と語っているが、その生涯を知りたいと思われる方は日本語版自伝「私一人」(名訳です)を是非。”訳者あとがき“で山田宏一さんはこう記している。

 

「純真(ナイーブ)であるとともに俗物(スノップ)でもあるという、女ならではの赤裸々な姿が、ここにはある」

 

 20世紀の大きな星がまたひとつ消えた。

  
バコール自伝の表紙です。



私の名前も入っています。