美空ひばりからクミコへと受け継がれた「一本の鉛筆」(作詞:松山善三、作曲:佐藤勝)には、
♪♪一本の鉛筆が あれば・・・
というフレーズと
♪♪一枚のザラ紙が あれば・・・
というフレーズが対のように出て来る。
♪♪一本の鉛筆が あれば
戦争はいやだ と私は書く
・・・・・
♪♪一枚のザラ紙が あれば
あなたをかえしてと 私は書く
・・・・・
というふうに。
鉛筆とザラ紙という取り合わせで、私がすぐさま思い出すのは、昔の新聞社の光景である。編集局に遊びにいくと、記者たちが鉛筆を握りしめ、ザラ紙に原稿を書いている光景が、いやおうなしに目に入って来たものだ。
この歌の主人公はもちろん新聞記者ではない。作詞者の頭のなかにあったのは、どこにもいそうな普通の女性の姿だったにちがいない。
しかし一方、松山さんは、当時の新聞記者にとって鉛筆とザラ紙が重要な商売道具であったことも、間違いなく知っていたと思う。そうでなくてふたつそろえて歌詞の“小道具”に使うわけがない。
主婦だって記者だって鉛筆とザラ紙さえあれば、戦争にノー!と叫ぶことが出来る、松山さんはそんな思いでこの歌詞を書いたのではないか。
美空ひばりが初めてこの歌を歌ったのは、1974年8月、広島平和音楽祭でのことだが、それに先だつ7年ほど前の67年10~11月、NHKテレビ「みんなのうた」で坂本九が「えんぴつが一本」という題名の新曲を披露している。
作詞作曲浜口庫之助。浜口作品としては「バラが咲いた」の系譜に連なるフォークソング調の佳曲である。
♪♪鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のポケットに
鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のこころに
浜口さんのセルフ・カヴァーもある。浜口さんらしいちょっぴりすっとぼけたような歌いぶりが捨て難い。それがおしゃれな味わいにつながっているからだ。
この歌が世間に広まった当時、私はハマクラさんこと浜口庫之助さんから大森実氏と交遊がヒントになって作ったと聞いたことがある。
大森さん(1922~2010)は、国際事件記者の異名をとる大物ジャーナリストである。ヴェトナム戦争の真っ最中、ハノイ入りしアメリカ北爆の有様を赤裸々に報道したことで知られる。
そのため、在籍していた毎日新聞社がアメリカ大使館からの抗議を受け、退社せざるを得なくなるという出来事があった。
私たちは、民主主義国家のはずのアメリカの異なる一面を見た思いがして、ショックを受けたものだった。66年のことである。
大森さんとクラさんは銀座の酒場の友人だった。ふたりがグラスを交わす姿をよく見掛けたし、私もその席に連なったこともある。
「えんぴつが一本」はちょっぴり哀しい"恋の唄"である。しかし、私の思い出のなかではクラさんから聞いた裏話のせいか、大森さんと戦争の硝煙弾雨がつきまとって消えることがない。
このアルバムに「えんぴつが一本」が入っています。