「一本の鉛筆」、ひばりからクミコへ | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

「一本の鉛筆」、ひばりからクミコへ

 クミコの最新アルバム『美しい時代のうた~クミコ コロムビアカヴァーズ~』(日本コロムビア)に、美空ひばりの「一本の鉛筆」がとり上げられている。作詞:松山善三、作曲:佐藤勝。非歌謡曲的な素朴なたたずまいの佳曲である。

 

 社会問題に目配りを怠らないクミコらしい選曲である。

 

 ♪一本の鉛筆が あれば

  八月六日の 朝と書く

  一本の鉛筆が あれば

  人間のいのちと 私は書く

 

 昭和49年(1974)、第1回広島平和音楽祭で歌われた。平和祈願をスローガンに掲げたこの音楽祭の、それもその第1回に、なぜひばりはこの新曲を引っ下げて出演したのか。

 

 この音楽祭の主催者は広島テレビ放送だが、実質上の筆頭プロデューサーが、歌謡界のまぎれもないドン古賀政男だったからだ。古賀さんは確か実行委員会委員長の肩書きで音楽祭をとり仕切っていた。

 

「一本の鉛筆」の作詞者の松山善三さんも委員のひとりだった。ほかにも團伊玖磨、吉田正の諸氏も委員会に名を連ね、蔭に日なたにに尽力を惜しまなかった。それもこれも古賀さんあってのことである。

 

 ひばりの出演だって古賀さんの一声あればこそ。

 

 かくして“お嬢”が生のステージ(のちに全国テレビ放映)で真っ更の新曲を歌うことになったわけだ。

 

 作曲の佐藤勝は、黒沢明監督作品「用心棒」「椿三十郎」などで知られる映画音楽の達人である。多分、松山さんが依頼したのだと思う。古賀御大が書くという話もあったようだ。

 

 一種のプロテスト・ソングだが、佐藤の曲調には大上段に構えたところがない。むしろ淡々と歌詞に寄り添っている。ほとばしり出る情感を押えたところが心憎い。

 

 ただ、ひばりは,過去のどのようなレパートリーとも趣を異にする曲だけに、かなり戸惑ったのではなかろうか。40年前の当日、会場の片隅で、私は、ひばりが初めて歌うのを聴いたが、“立派に”歌い過ぎているような印象を持った。

 

 今回のクミコは、当然ながらひばりには貫禄負けしている。しかし、シャンソン風の味つけで彼女らしさを出していないわけではない。

 私は、シャンソン風の歌唱がこの歌への“正解”だとはかならずしも思わないので、クミコがこれから長く歌っていくことで何か別の“解答”を出してくれることを密かに望んでいる。