野地秩嘉(のじつねよし)さんの「ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た/伝説の呼び屋・永島達司の生涯」(幻冬舎、1999)を、出版以来15年ぶりに再読した。

 1964年のビートルズ来日公演を手掛け、ポール・マッカートニーとも格別の親交があった永島さん(1926~98)についての評伝である。

 急にこの本を読みたくなったのは、この5月、マッカートニーの来日全公演中止という大事件が起こったせいだと思う。

 本人が日本に来ていながら、全公演が中止になるというのは、私の知る限り、日本の興行史上かつてない出来事である。もしも永島さんが存命だったら、この前代未聞の大事件にプロモーターとしてどう対処していただろうか?そんな思いにとらわれたせいにちがいない。

 もとより、その答がこの本のなかにあるはずがない。しかし、スーパースターの来日公演がどんなに苦労の多い仕事か、その点については、この本を読めばじゅうぶんに理解することが出来る。

 野地さんはビートルズ来日公演の裏表すべてを調べ尽くし、完璧に再現してみせる。興行という仕事に興味のある向きは、一読して損はない。

 この本でいちばん感動的なのは、64年7月3日朝、全行程を終えたビートルズが、宿泊先、東京ヒルトンホテル(現 ザ・キャピトルホテル東急)の、全フロア借り切った10階から出発するときの光景である。

「彼等が部屋を出ようとした時、永島が『ひとつだけお願いがある』とブライアン・エプスタインの耳にささやいた。ブライアンはうなずき、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴに内容を告げる。
 永島はエレベーターまでずっとホテル通路の片側に、ビートルズのメンバーたちの世話をした協同企画の社員、読売新聞の関係者たちを並べ、ひとりひとりの名前を紹介することにしたのだった。」

 現場で苦労に苦労を重ねたスタッフたちへのなんという思い遣りだろうか。

 ちなみに文中のエプスタインは、もちろん4人を世界のスーパースターに仕立て上げたかの敏腕マネージャー。協同企画は、今回のマッカートニーの招聘元でもあるキョードー東京の前身である。

 野地さんは、本書のなかでマッカートニーが永島さんについて語った次のような言葉を紹介している。

「タツは背が高い。誰よりも立派な英語を話す。マナーも西洋的だ。でも、彼の本質はサムライのような日本人だよ。芸能界にはワーワーキャーキャーとまるでダンスをするように落ち着きなくしゃべっている人間が多いけれど、タツは必要最小限のことしか話さない。あとはじっと黙っている。彼みたいな男が本当の日本人だ。」

 ポールよ、あなたがこれほどリスペクトする永島さんの故国日本へ、かならずもういちど、なるべく早く戻って来て、コンサートをやっておくれ!

 今回企画されたものの、キャンセルになったビートルズゆかりの日本武道館での公演は、なんとしてでも実現してもらいたい。



一読に値します。



タツ&マイケルのツーショットです。