このアルバムは、1、2回さらりと聴いたり見たりしただけで、「楽しめた」とか「凄いなあ」とか言ったりしては罰が当たる。心して相対さなくてはほんとうの価値はわかったとは言えないだろう。

 

 偉そうなことを言ったが、私だってまだそのすべてを把握しているとは言い難い。

 

 ビリー・ジョエルが、1987年、冷戦下末期のソ連邦を訪れたときのライヴ・アルバム「マター・オブ・トラスト/ブリッジ・トゥ・ロシア」(ソニー・ミュージック)である。

 

 ビリー・ジョエル訪ソの際の音源、映像は、これまでにもリリースされているが、その全貌を伝えるには、今回の3枚組み(CD2枚、BDあるいはDVD1枚)ほど完璧ではなかったようだ。

 

 そもそも冷戦下のソ連政府は、ロック音楽に対し決して寛容ではなかった。ロックのバックボーンとも言える反骨気質、反体制志向を好まなかったのだろう。この国の首脳たちは、ロックが国民の反体制思想を助長すると考えていたにちがいない。

 

確かに87年にはゴルバチョフ大統領指揮のもとグラスノスチ、すなわち情報公開、芸術・文化の規制解除が始まっていた。とは言え社会主義体制が崩れたわけではない。そういう情況のもとで、ヴェトナム戦争を題材にした「グッドナイト・サイゴン」を歌うというのは、よほどの勇気と決断がなくてはおこなえることではない。

 

 映像にはコンサートの模様87分、オフステージの有様、ツアーを振り返っての談話など74分が収められている。ビリーがいかに真摯にロシア人の観客にぶつかっていったかが、手にとるように理解出来る。街で人々に接するときも決して笑顔を絶やさない。

ステージ上の彼は、まぎれもなくロックンロールしている。心を込めて絶叫し、からだを張って舞台狭しと駈け巡る。その姿は何かが憑依したとしか思えない。

 

 なにがここまで彼を駈り立てたのか。ロック音楽をよく知らない人たちとだって、ロックの神髄を分かち合うことが出来る、そのことを証明したいという使命感からではなかろうか。

 

 もし、そうだとしたら、方法はただひとつ相手を全面的に信用してぶつかっていくことである。そして彼は、その通り実行したのである。

 

 

 このツアーを敢行するに当たって、彼にとって最優先の課題は、まさしく「マター・オブ・トラスト」、観客を信用するかしないかだったにちがいない。でなくて、どうして1歳半のわが娘を抱いて熱狂する聴衆と向き合うことなどするものか。

 

 まさか二度と冷戦期に戻ることはあるまいが、米露間に不穏な空気が漂っている今だけに、このアルバムから多くの教訓を学びとりたいと思う。

(オリジナル コンフィデンス  2014/6/23号 コラムBIRD’S EYEより転載)


   「マター・オブ・トラスト/ブリッジ・トゥ・ロシア」
               (ソニーミュージック)