石井好子さんとパリの裸レヴュウ | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

石井好子さんとパリの裸レヴュウ

 

   たまたま南青山の古書店「古書日月堂」で、パリ育ちの外交官、田付たつ子さんの古いエッセー集「パリの甃(いしだたみ)」(1955、読売新聞社)を手にし、パラパラやっていたら、石井好子さん(1922~2010)がパリのキャバレーに出演したときの写真が載っていた。

 

 私も知識としては石井さんにそのいうキャリアがあることは知っていたが、写真は見たことがなかった。写真の解説代わりに、彼女自身が書いたエッセー「パリのキャバレー」(中央公論1955年3月号、初出)から一部分引用する。写真中央が石井さんだ。
 

 

「私が一九五三年の春から一年間歌っていたナチュリストは、モンマルトルでも一番盛り場といわれるピガール広場にある、レヴュ(まま)を出すキャバレーだった。ナチュリストには座つきの踊り子十五人、マヌカン(裸になる女を呼ぶ)十五人、それに私たち歌手が三人、踊り子、コメディアンが五人出ていた」

 

 文中「座つきの踊り子」「踊り子、コメディアン五人」と踊り子が二度出て来るが、前者はその他大勢のダンサー、後者はソロ、アクロバットのダンサーと思われる。店名のNaturistnudistすなわちヌード主義者という意味である。

 

 この店の客は地元のパリッ子より外国客が多く、ハリウッドの大スター、ゲーリー・クーパー、エロール・フリン、オーソン・ウェルズも見に来たそうだ。

 

 当時、石井好子31歳。大正生まれの日本女性にしては堂々たる体つきだったので、パリのヌード・ダンサーに伍しても見劣りすることはなかっただろう。

 

 当時たまたま、好子さんの父君石井光次郎氏が第5次吉田内閣の運輸大臣を務めていたので、日本の新聞雑誌には「大臣の娘がパリで裸踊りに出演」と騒ぎ立てたところもあった。石井さん自身、ヌードになったわけではないのに。

 

 パリのレヴュウでは舞台の中心に立つスター歌手のことをgrande vedetteという。本場のパリでこの地位を獲得した日本人歌手は、石井さんのほかには、1973年から3年間、フォーリー・ベルジェールに長期出演した上月晃しかいない。

 

 生前の石井さんは、

「日本では上月さんのあの出演を評価しなさ過ぎるわ。大変な仕事だし、名誉あることなのに・・・・・」

 と私によく言っていた。

 

 ナチュリストでの体験のある石井さんだから言えることである。

  

 

 

             貴重な写真はこの本から。