まだ一ヶ月先だというのに、早々にパリ祭のコンサートの招待状が舞い込んた。7月14日のパリ祭(フランス革命記念日)に因んでのこのシャンソンの祭典は、ことしは12,13日の両日、NHKホールでおこなわれる。
顔ぶれ(順不同)は、菅原洋一、美川憲一、麻実れい、高畑淳子、加藤登紀子、クミコ、前田美波里・・・・と色とりどり。シャンソンだけを看板にする歌手の出演がめっきり減ったのは、今現在のシャンソンのありようを物語って余りある。
「パリ祭シャンソンの祭典」はことしで第52回を数える。一貫してこの催しの旗振り役を務めて来たのはシャンソン界の大姐御石井好子(1922~2010)だった。
若いときの私は、「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりにも遠し・・・・」(荻原朔太郎)とフランスにあこがれた口だったので、いつの間にか石井さんとも親交を結ぶ間柄となった。
筆まめの彼女からもらった手紙は全部とってある。そのなかのひとつパリ祭に触れたものを紹介する。
「お元気の事と思います
1950~1954年 留学生として 日本を 発って
から サンフランシスコ パリ そして帰国の事 岩波から出します 秋ですけど・・
写真を・・・・といわれ 昔のアルバムみてたら
こんなの出て来ました
お互い若かったですね あなたは無垢みたい
何かなつかしくて おとどけします
お大切に
私は 三十五周年のパリ祭 面白くない事あり
○○(原文には姓が書かれている。安倍註)と 別れて こんなことします
来て下さいね
昔のパリ祭の原点にかえり おさらい会
切符の売りつけ、の社界(まま)からはなれて 面白くゆき たいと願っています
お元気で 又
石井好子
パリ祭コンサートを続けるための石井さんの苦労が偲ばれる文面だ。チラシとツーショットの写真が同封してあった。
手紙に日付なし。ただし、ちらしと文面から1997年6月中旬~下旬と察せられる。
写真はいつごろのものかまったく不明。どこかの楽屋らしい。石井さんが30代、私が20代か?石井さんは私より11歳年長だった。でも人間的に包揺力があったので、今、振り返っても、もっともっと歳上のように感じられる。