劇場は1897席という大箱の帝劇である。そこで11週間ぶち抜きの招聘公演をおこなうというのだ。1968年当時は今ほどミュージカル市場が成熟していたわけではないので、誰もがその興行の行方に不安を抱いたものだった。

しかし、結果オーライ。日英国際親善公演と銘打たれた『オリバー!』は対キャパ96パーセントの好成績で千秋楽を迎えることが出来た。

この公演の最高責任者、東宝演劇担当専務の菊田一夫は、その胸のうちを次のように述べている。

「いいものには客が来る。たとえそれが大部分の日本人には言語の通じない外国語によって上演されるミュージカルであろうとも……。いいものをつくらなくてはいけない、しみじみ感じた公演だった」(「落穂の籠/遺稿・演劇随想集」読売新聞社/73年)。

菊田さんは、『オリバー!』に一目惚れだったらしい。訪英の際、相手側のプロデューサー、ドナルド・アルベリー卿がロンドンにいないと知るや、「氏の帰英を待つのももどかしく、ヴェニスに許可をもらいに行ったほどの熱心さだった」(もと東宝プロデューサー古川清著「舞台はやめられない」、飛鳥新社/05年)。

『オリバー!』は1960年のロンドン初演時から完成度の高い舞台だった。心に染みるナンバーがいっぱいあるし、モダンな装置、テンポのいい演出とすべてがそろっていた。もちろんブロードウェイでもヒットした。プロ中のプロの菊田さんが飛びついた気持もよくわかる。

『オリバー!』は、チャールズ・ディケンズの著名な小説「オリヴァー・トウィスト」に基づく孤児オリバーの物語である。

可愛らしく憎めないオリバーが、孤児院、葬儀屋、泥棒一家とどこにあっても逞しく生きていく姿は、観客の胸に強く響く。

これは私のまったくの推測だけれど、菊田さんはみなし児としての自らの境涯とオリバー少年のそれとを重ね合わせ、深く感じるところがあったのではないか。

 菊田さんには半自叙伝小説「がしんたれ」という作品がある。自らの脚色・演出で舞台化もしている。「がしんたれ」とは、広辞苑第6版によると、「(大阪などで)意気地なし。甲斐性なし」などを意味する方言らしい。

 菊田さんが一時住んでいたとされる長崎県南島原市近くの女島には、「がしんたれ/けふも泣きけり…」と刻まれた碑があると聞く。

 出生から養父母が決まるまで、6年間もの歳月が費やされたというのだから、幼少期の苦労は並大抵のものではなかったろう。ことあるごとに「がしんたれ」と小突き回されたにちがいない。

 ところで、あの公演、字幕付きだったかな。いやイヤフォーンで確かキクタフォーンと呼ばれていた記憶があるのだけれど。

(「シアターガイド」7月号より転載)



       『オリバー!』の稽古場で挨拶する菊田一夫さん(中央)。

写真提供:一般社団法人 映画演劇文化協会