本の題名からして意表を突いている。『ジャズは気楽な旋律』(平凡社新書)。

 

ジャズが重点を置かなくてはいけないのは、旋律すなわちメロディーではなくリズムではないか。たとえ旋律を重要視するとしても、気楽なと形容するものでいいのか、むしろ緊張感こそ尊ばれるべきではないか。つい、そんな意地悪な突っ込みを入れたくなってしまう。

 

しかし著者は300枚以上のジャズ・アルバムを制作したプロデューサー、ディレクターの木全信(きまたまこと)さんである。その主張には体験に裏打ちされた説得力がある。

 

ロックン・ロール台頭以降、ジャズは苦難の道を歩み続けて来た。フリー・ジャズに代表されるようにジャズ自体が袋小路に入り込んだふしなきにしもあらず。一時ロックとエレクトリック・サウンズをとり込んだフュージョン・スタイルで復活したが、それも自然消滅の道を辿ることになる。

 

そこでジャズ復活を目指し、木全さんが仕掛けたのが、アコースティックでストレート・アヘッドなジャズで、その先駆けとなったのが、ケニー・ドリュー率いるピアノ・トリオによるアルバム「ヨーロッパの午後」(1980)であった。

 

 木全さんはドリューの次のような言葉を紹介している。

 

「ジャズは楽しくもあり、悲しくもあり、ダイナミックでもあり、ロマンティックでもある。ある時は美しく、ある時は怒りを感じさせる。そんないろいろな表情を醸し出せるのがジャズの面白いところだ。そうした表情をいかにイージーに表現できるか、いかに聴く人の心に響かせることが出来るか……」

 

 “気楽な旋律”という木全さんのコンセプトの根源はドリューのこの言葉にあると見る。イージーというと、ネガティヴなニューアンスがつきまとうが、ここではポジティヴな意味で使われているように思える。

 

木全さんはRVC、アルファなど今はない日本のレコード会社に在籍したミュージックマンである。けれど海外のアーティストを積極的に起用してレコーディングをおこなった。更にはアメリカではなくヨーロッパ在住のミュージシャンが、その多くを占める。ドリューも例外ではなく、当時コペンハーゲンを根拠地としていた。

 

 そう言えば木全作品の中核をなすヨーロピアン・ジャズ・トリオは、メンバー3人、アムステルダムを拠点とする人たちだった。デビュー・アルバムの表題はビートルズと村上春樹にあやかって「ノルウェーの森」(1989)。よく売れたようだ。

 

木全さん制作のアルバムはオン・タイムで聴いて来たが、今回の新書のお蔭で裏事情をいろいろ知ることが出来た。そうだ、新書片手にもういちど聴いてみるか。

 

(オリジナル コンフィデンス 2014/5/26号より転載)