芳醇と若々しさは両立し難い、ワインもジャズ・ヴォーカルも・・・・・。ところが、ほんの時たま、奇跡的に共存出来るようだ。

 Blue Note Tokyoで聴いたディー・ディー・ブリッジウォーターは、まさしくその“奇跡の共存”を体現した最高のジャズ・ヴォーカルだった(5月2日、セカンド・ショウ)。

 どの歌にも年齢のもたらす深い味わいが滲み出ている。その熟成感にうっとりしていると、突然、力漲るマグマが炸裂する。ワインだったら思わずグラスを持ち直すという心境か?

 バックバンドは腕っこきぞろいの五重奏団である。最近のお気に入りはこの人よとばかり、トランペットのTheo Crockerが思いっきりフィーチュアされる。間違いなく彼のペットとディー・ディーのスキャットの鍔(つば)競合いは、この夜の聴きもののひとつだった。

 しかし、彼女を裏でしっかりと支えているのはピアノのEdsel Gomezだろう。他にサックス、ベース、ドラムスの3人。

 曲目は多岐にわたる。れっきとしたジャズでは、ビリー・ホリデイへのトリビュート「フォギー・デイ」「グッドモーニング・ハートエイク」、セロニアス・モンクの名曲「ブルー・モンク」など。R&B系ではスティーヴィー・ワンダーでおなじみの「リビング・フォア・ザ・シティ」、マイケル・ジャクソンの超ヒット曲「アイ・キャント・ヘルプ・イット」も。

 ただし、なにを歌ってもディー・ディーにしか歌えない歌になっている。まず第一、そのヴォーカルから漂って来るのは、一種の香気、すなわち究極の洗練である。
磨き抜かれたソフィスティケーションと言ってもいい。

 第二に自由自在な遊び心。それは、いつ果てるとも知らぬスキャットによく現われている。そして時たま、この遊び心が、ある種の高みにまで昇華したお洒落なセンスと合体することがある。ディー・ディーが彼女らしい特色をもっとも鮮明に打ち出すのは、その瞬間ではなかろうか。

 もしかしたら私たちは、現役最高峰のジャズ・ヴォーカリストの歌を聴いているのではないか、そう確信したくらいだった。

 実はこの日、私には安蘭けいという連れがあった。近々、彼女はビリー・ホリデイの伝記ミュージカル「レディ・デイ」の主演を相務めることになっている。一方、ディー・ディーも昨年秋、オフブロードウェイでビリー・ホリデイを演じている。もちろん、ディー・ディーはビリーの足跡を継ぐ正統派ジャズ歌手でもある。安蘭がディー・ディーのステージを見れば、きっと学ぶところがあるという勝手な親心?(あるいは余計なお節介)から、彼女を誘ったという次第・・・・・。

 幸いにも終演後、ふたりを引き合わすことも出来た。私も初対面だったが、まったく気取りのないディー・ディーの人柄のお蔭で三人はたちまち旧知の仲のように打ち解けることが出来た。ディー・ディーが苦労人のせいもある。

ディー・ディーの安蘭への助言の一端を披露しておく。

「何よりビリーの歌を聴いて聴いて聴き抜くことね。時代によって彼女の歌がどう変化した点にもよく耳を澄ませて。映像、自伝の『奇妙な果実』(翻訳あり。油井正一、大橋巨泉訳、晶文社)、なんでも当たってみるといい。いちばん大切なのは、彼女のフレージングを徹底的に勉強することかしら?」

 ビリーのジャズを聴き込めば聴き込むほど、おのずと彼女の実像に迫ることもその心の奥底にまで入ることも出来る、と言いたげであった。

 歴史上、最高のジャズ・ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイを演じ、彼女のレパートリーを歌うことは、安蘭けいにとって大きな挑戦である。新しい役柄の開拓にもなることだろう。

 彼女の飛躍のステップになることを祈っています。



当日のBlue Note Tokyoは大入り満員でした。




ブリッジウォーターをなかに安蘭と筆者。