宝塚100年とその三大名曲 | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

宝塚100年とその三大名曲

また宝塚100周年にちなんだコラムを書きました。
宝塚歌劇団についてはいくらでも書くことがあるんです。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 ことしは宝塚歌劇団創立100周年に当たる。4月5日、宝塚大劇場での祝典を初めとして、さまざまな行事がおこなわれている。出演者が女性のみということ自体、ほとんど例を見ないが、その劇団が100年も続き、今日ますます隆盛を誇っているとなると世界的にも希有の出来事である。

 宝塚歌劇は、大正3年(1914)、宝塚温泉のプールを改造した歌劇場(別称パラダイス劇場)で、第1回公演『ドンブラコ』の幕を開けた。題名から想像されるようにお伽噺「桃太郎」を下敷にしている。

 団員募集時は宝塚唱歌隊と称したが、すぐに宝塚少女歌劇養成会と改めた。

 私は、大正初期に歌劇の二文字を採り入れたところにこの集団の心意気を感じないではいられない。この先見性に未来への可能性が含まれていたのではなかろうか。

 唱歌隊だったら、せいぜい女学校の学芸会の延長ぐらいにしか受けとれないが、少女の文字があるとは言え、歌劇養成会となると、新しい文化への挑戦という印象が強く打ち出されるからだ。

 今となっては写真からしか想像出来ないものの、和洋折衷らしい『紅葉狩』『雛祭』など歌劇と銘打たれた作品が上演されている。2作とも作者として歌劇団創立者小林一三の名前がある。

 記念祝典で華やかな舞台に見とれながら、これぞ宝塚100年の主題歌だなと、うっとり聴き惚れてしまったのは、「モン・パリ」(岸田辰彌作・演出『モン・パリ〈吾が巴里よ〉』、1927)、「すみれの花咲く頃」と原曲「コンスタンチノープル」の「おお宝塚」(白井鐵造作・演出『パリゼット』、1930)である。

 岸田や白井は、舞台研究のために洋行した際、これらの楽曲と出会い、帰朝公演の舞台の目玉として使ったものと思われる。

 あの頃は日本と欧米は遠く掛け離れていた。現地に出向かなければ新曲を発見する機会もなかったろう。幸い岸田や白井はいい耳をしていた。彼等がこれらの曲に出会わず、出会っても敏感に反応しなかったら、今、宝塚は、いや日本のレヴュウはどうなっていたことか。

 「モン・パリ」「すみれの花咲く頃」「おお宝塚」は宝塚の歴史そのものを象徴する三大楽曲である。宝塚をいちども見たことがない人でも知っているかもしれない。私はこの3曲と宝塚との運命的な出会いに思いを馳せずにいられなかった。

 ここで余談ひとつ。100年前、「ドンブラコ」で桃太郎を演じた生徒は、第1期生16名のひとり高峰妙子という。この高峰が実のおばあちゃんだという人が私の友人にいる。ソニー・ミュージックエンタテインメント、コーポレイト・エグゼクティヴCEO北川直樹さんだ。海のものとも山のものともわからない宝塚を、おばあちゃん、なぜ受けたのか。多分、進取の気性に富む人だったのだろう。

(ORICON4月28日号 BIRD’S EYEより転載)



宝塚音楽学校創立100周年記念祝典の一場面です。




4月5日、宝塚大劇場での祝典当日のロビー光景です。
撮影:辻 則彦