4月5日、宝塚大劇場でおこなわれた「宝塚歌劇100周年記念式典-虹の橋 渡りつづけて-」に出席して来ました。

 しばし、せち辛い浮世を忘れ、華やいだ気分にたっぷりと浸ることが出来ました。高揚する気持を押さえ切れず、その夜は寝つけなかったほどです。

 宝塚の魅力は、しばしば徹底した人海戦術に出たときに発揮されます。あの大舞台を着飾った数え切れないほどの生徒たちが埋め尽くしたとき、いっきょに開花(いや、いつそのこと爆発と言ったほうがいいかもしれません)するのです。

 今回の祝典でも特にふたつの景でその特色を再確認することが出来ました。

 まずひとつ目。大合唱「虹の橋 渡りつづけて」(作詞:瀬戸内寂聴、作曲:千住明、指揮:佐渡裕)です。大階段のてっぺんまで埋め尽くした乙女たちは400名を超えていたでしょうか。しかも全員、びしっと決まった袴姿です。その光景だけでも感動ものなのに、その上、あるときは情緒纏綿(てんめん)と、またあるときは威儀を正し、緩急自在にかなりの難曲(詞、曲とも)の組曲を歌い継いでいくのですから・・・・・・。

 もうひとつは「100本のバラ」(作曲・編曲:青木朝子、振付:ジェフ・カルフーン)の大群舞です。第100期初舞台生を含む総勢100名が一糸乱れず繰り広げるダンスには只々見とれるばかりでした。バラをあしらった衣装も可愛らしかったし、これだけ大人数の出演者をさばく振付も堂に入っていました。

 しかしそれにしても、この激動の現代に女性だけの一大芸能集団が100年も存続し得たということは、一種の奇蹟としか言いようがありません。しかも、創設者小林一三氏が掲げ、以来、一貫して保持して来た“清く正しく美しく”というモットーは、現時点ではいささか浮き世離れしていなくもないのです。

  あるいは、その時々の潮流に左右されず、やや古風なこのモットーを貫き通したからこそ、100周年を迎えることが出来たのかもしれません。

 宝塚の精神的支柱は明らかに創設者小林一三氏ですが、氏が亡くなったのは今から57年前の1957年のことでした。つまり宝塚100年の歴史のうち、氏が存命だったのは半分以下の43年間で、氏亡きあとの57年間のほうが長いことになります。言い替えると、氏の精神はその死後も脈々と受け継がれて来たということです。

 小林氏は阪急コンツェルンを築き上げた偉大な事業家ですが、宝塚歌劇創設者としても日本近現代文化史にその名を残すことになったわけです。

 あの世から小林氏は今回の祝典をどんな思いで見詰めておられたでしょうか。


      当日のパンフレット、入場券。






      お土産の記念切手です。