朝倉さんは、見た目が小柄なせいもあって、90歳を超えても、可愛らしさを失わない人だった。けれど、いくつになっても内面には美と造形への飽くなき探求心が燃えたぎっていたようだ。

 生涯現役、亡くなるまで舞台美術界の牽引役であり続けた。享年91。

 彫刻界の巨星朝倉文夫氏の長女でありながら、一生を通じて、その家系に甘えるところがまったくなかった。その凛とした生き方に、私は畏敬の念さえ覚える。

 美意識、美的感覚からすると前衛であり新しいもの好きだった。それ故、名声が確立する前の蜷川幸雄の舞台(「近松心中物語-それは恋」他)や先代市川猿之助のスーパー歌舞伎(「ヤマトタケル」他)にも同志的協力を惜しまなかった。

 小空間ベニサン・ピットでの公演(「薔薇の花束の秘密」他)での悪条件を逆手にとった美術も忘れてはなるまい。

 オペラ「源氏物語」(三木稔作曲、セントルイス・オペラ劇場、日生劇場)では、安易なジャポネスクにも極度な前衛にも走らず、日本の伝統美にのっとった装置・衣装をデザインし、国際的にも高い評価を得た。

 いつぞや、元代々木の自宅兼仕事場にお邪魔した折、書きかけのデザイン画のかたわらに鉄版、釘、ねじ回し、金槌などがところ狭しと置かれているのに唖然として眺めていたら、アトリエの主は艶然と微笑んで、
「わたしの仕事って半分以上大工さんみたいなところがあるのよ」
 と言われたことがあった。

 元代々木と言えばこんなエピソードも(戸板康二著「ちょっといい話」文春文庫より)。

「朝倉摂さんは、以前共産党員であったが、事情があって、脱退した。
朝倉さんの住んでいる町の名前が改正になった時、困ったような顔で、
『いやだわ、元代々木だなんて』」

 摂さんは、父文夫氏の教育方針で生涯学校に通ったことがない。もしかするとその独自な英才教育が彼女の舞台美術家としての基盤を培ったのかもしれない。

 ごく最近、朝倉文夫氏の元自宅兼アトリエ、朝倉彫塑館(台東区谷中)が、修復なって4年半ぶりに再オープンした。摂さんが父の教育を受けた場所でもあったろう。

 文夫氏は大の猫好きだったそうで、彫塑館には猫に因んだ作品が数多く展示されているという。

 そう言えば、摂さんも猫が大好きだった。年賀状はいつも猫のイラストだったことが思い出される。

                                       (続く)



青山斎場での遺影。紫の花道が設けられていました。




彼女の華麗な舞台美術が楽しめます(パルコ出版)