こんなに長寿の音楽番組がほかにあっただろうか。フジテレビ「ミュージックフェア」である。

 第1回が東京オリンピックの年の1964年8月31日だから、ちょうどことしで50周年を迎える。通算ではこの2月、2500回を超えたそうだ。
 
始まったころからユニークな音楽番組を志していた。出演者は人気より実力に重きを置き、組み合わせに工夫を凝らした。第1回の淡谷のり子、舟木一夫、九重佑三子という顔合わせに、早くもその特色が現われている。お洒落な美術、照明、目に見えない編曲にもお金を惜しまなかった。

 スター歌手に持ち歌以外の曲を積極的に挑戦させたことも特色のひとつだろう。

 音楽番組イコール歌謡番組だった時代だけに、これら「ミュージックフェア」の試みは、パイオニア精神の発露として新鮮に映ったものだ。

 先ほどの第1回の出演者については、50年後の今となっては脚注が必要かもしれない。淡谷は歌謡曲、シャンソンの超ヴェテラン、舟木は学生服姿が売りの新人、九重はアメリカン・ポップスのアイドル、分野も個性も三人三様なのが興味深い。

 「ミュージックフェア」の凄いのは、スタート時のユニークさを貫き通したことである。その時々のはやりすたりによって色合に多少の違いはあっても、基本スタンスはぶれなかった。このぶれのなさが実は長寿を支えたように思える。

 出演回数ランキングも公表された。ダントツは127回の森山良子、以下87回のさだまさし、76回の谷村新司、69回の加山雄三、64回の鈴木雅之、62回の和田アキ子……と続く。ポップス系が常連だったことがひと目でわかる。

 そう言えば最初のころの司会者は越路吹雪だった。専門の司会者ではなく、あえて大スターの越路を起用したあたりからも製作スタッフの意気込みが伝わって来る。
 
海外アーティストも次々に出演させた。デューク・エリントン、MJQ、ヘレン・メリルらの名前がある。かと思うと勝新太郎が三味線を披露したりしている。

 新旧、和洋さまざまな競演がおこなわれ、やがて“コラボレーションの「ミュージックフェア」”(石田弘エグゼクティヴ・プロデューサー)と言われるようになったのも不思議ではない。

 しかし、何より強調したいのはこの番組が、50年間、一貫してシオノギ製薬という単一スポンサーによって提供され続けたことである。こういう番組は民間放送史上、他に例を見ない。フジとシオノギの間に確固たる信頼関係がなければ、このような奇跡は生まれるはずもなかろう。

 この番組を素材に半世紀にわたる音楽シーンを回顧するDVDを作ってもらいたい。

                               (ORICON BIZより転載)



3月6日、ホテル日航東京で祝宴がおこなわれました。出席者が500名を超える着席ディナーでした。メニューは下記の通り。天ぷら、牛フィレ肉、グリルなど和洋折衷でした。

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             「ミュージックフェア」50周年記念祝宴の一コマです。
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                数多くの出演者たち。50周年記念パンフレットより。