今宵も喝采が鳴り渡る―ミュージカルがあるからブロードウェイがある― | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

今宵も喝采が鳴り渡る―ミュージカルがあるからブロードウェイがある―

 男性ファッション誌売り上げナンバー・ワン「Safari」の兄弟誌「Safari New Yorker」が、同じく日之出出版から新たに刊行されました。

 「Safari」がカリフォルニア中心なら「Safari New Yorker」は誌名通り、ニューヨーク中心の編集です。というわけでブロードウェイがとり上げられ、私のエッセーも載っています。

 ブログの読者にも是非お読みいただきたく、転載いたします。ちょっと長めですが、お目通しください。
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 ブロードウェイは私にとって “第二の故郷”である。ニューヨークにはいちども住んだことがないし、長期滞在と言ってもせいぜい1ヶ月くらいなのに、図々しくも私はそう頑なに信じ込んでいる。
 
 いったい、なぜ?長い年月にわたっての度重なるニューヨークへの旅、その都度のブロードウェイでの観劇が、いつの間にか私にそう信じ込ませることになったのだろう。
 
 私が初めてブロードウェイに足を踏み入れたのは、1965年6月、今からなんと49年前のことであった。あれから半世紀か。毎年1回はかならず、ニューヨークに足を運んだ。若いときは飛行機代を捻りだすのに苦労した。
 
 今、振り返ってみると、1979年のシーズンだけ抜けている。その代わり、二度三度と出掛けた年もある。通算すると、100回には達していないが、70回くらいにはなっているかもしれない。これほどまでに私がブロードウェイ詣でに執心したのは、世界一の劇場街と言っても言い過ぎではないこの街独自のパフォーミング・アーツ、すなわちミュージカルのとりこになってしまったからだ。
 
 ミュージカルにはほかの舞台芸術にはない独特の高揚感がある。音楽、ダンス、芝居の3つの要素がからみ合って生み出すその熱気と興奮にとり憑かれるせいにちがいない。
 
 ミュージカルが今日のような体裁を整えるに至るまで、オペレッタなど先行するさまざまな音楽劇から養分を吸収して来た。しかし、音楽面で絶対に無視出来ないのが、この国独自の音楽、ジャズである。ミュージカルには、ジャズが本来のアフリカ民族音楽から受け継ぎ磨き上げて来たリズム感覚が脈打っている。
 
 一方、ミュージカルの作曲家には圧倒的にユダヤ系が多い。アーヴィング・バーリン(『アニーよ銃をとれ』)、ジョージ・ガーシュウィン(『ポギーとベス』『クレイジー・フォー・ユー』)からジェリー・ボック(『屋根の上のヴァイオリン弾き』)、マーヴィン・ハムリッシュ(『ア・コーラス・ライン』)、スティーヴン・シュオーツ(『ウィキッド』)まで。
 このユダヤ系音楽家たちのなかでもひときわ知名度が高いのがレナード・バーンスタイン(『ウエスト・サイド物語』)ではなかろうか。
 
 格別、彼等が長けているのは、ユーモアのセンスである。ミュージカルという土壌の上できらび
やかなリズムと洗練されたユーモア感覚を結びつけたのは、ユダヤ系ミュージカル作曲家にほかならない。疑う者は、『ウエスト・サイド物語』の「アメリカ」や「クラプキ巡査」を聴いたらいい。「クラプキ巡査」は、不良少年たちが面と向かってお巡りさんを嘲笑し置倒するナンバーだが、風刺が効いていて思わず吹き出してしまうことだろう。

 付け加えておくと、ミュージカルの作り手には作曲家だけでなく脚本家、作詞家、演出家にもユダヤ系が多い。劇場主、プロデューサー、批評家にも。ブロードウェイ・ミュージカル村はユダヤ人村でもある。

 彼等の逞しい創造力、研ぎ澄まされた芸術的な(時にはジャーナリスティックな)センスが、ミュージカルという20世紀芸術の進展に大きく係わり合っていることは、否定するわけにいかないだろう。
 ここでひとつ、具体的な例証を挙げておく。ブロードウェイ大ヒット作のひとつ『プロデューサーズ』は、そもそも当てることをはなから諦め、わざと失敗作を作り、集めた資金を持ち逃げしようという人を喰った物語だが、失敗を当て込んだ劇中ミュージカルというのが更に輪を掛けて人を喰っている。

 民主々義の敵のはずのアドルフ・ヒトラーを主人公にし、しかも礼讃しているのですからね。
『プロデューサーズ』の上演に係わった人々には、ほかのブロードウェイ・ミュージカルと同様、ユダヤ系が多いはずである。彼等にとってヒトラーは憎むべき敵にほかならない。つまり敵を褒めて褒めて褒めまくるということでコケにする。そして客席の笑いをとる。ね、相当な高等戦術でしょう。

 なに、日本の観客には言葉の障壁はないかって?ないとは言わないが、この舞台に限らず役者の演技力の水準がとっても高いので、十分にわかったような気分にさせてくれるのですよ。

 ところでこの辺で、懐に直接響く入場料の話題を。
 65年、私のブロードウェイ初体験の際、いちばんいい1階のオーケストラ席が僅か6ドル50セントでしかなかった。売れっ子スターのサミー・デイヴィス・ジュニア主演の『ゴールデン・ボーイ』も、まだ駈け出しのバーブラ・ストライサンド主演の『ファニー・ガール』も、すべてこの値段で見ることが出来た。
 それから12年後の77年、ライザ・ミネリ主演の『ジ・アクト』ではなんと20ドル払わされることになる。それ以降、入場料はただただ上昇の一途を辿るのみ。

 たとえば、今シーズンの話題作のひとつ『ロッキー』(あの往年のヒット映画のミュージカル化です)だと、1、2階のいい席は143ドルもする。近ごろはプロデューサーたちも欲の皮が突っ張るばかりで、さらにプレミアム・シートと呼ばれる特別席を設け、『ロッキー』の場合だと199ドルから250ドルもふんだくっている。

 人気スター、ヒュー・ジャックマン主演の舞台だったりすると、高い席から売れていくということだってなくはない。

 スターは舞台上だけでなく客席で見掛けることもある。大当たりした喜劇『ボーイング・ボーイング』では私と同じ列にロッド・スチュワートがいた。欧米のスターは、自分のジャンルのものでなくても、どこかで芸の肥しになると思っているのか、ブロードウェイの話題作は見逃さない。スターがそこにいるからと下手に騒いだりしない客席の様子にも感心させられる。

 これはことし2月15日、レオナルド・ディカプリオが女友だちのトニ・ガーンとミュージカル『ア・ジェントルマンズ・ガイド・トゥ・ラヴ・アンド・マーダー』を見に行ったときの出来事である。

 休憩時間に飲みものが欲しくてバーの行列に並んだが、彼の順番が来るまでに開演のベルが鳴ってしまった。バーテンダーがお仕舞いですと告げると、「ノー・プロブレム」とおとなしく席に戻ったというのだ。

 早速、新聞のコラムがとり上げて曰く、
 「彼は“ウォール・ストリートの狼”じゃなかった。ブロードウェイでは紳士だった」

 ブロードウェイ観劇歴でのハイライトとなると、やはり光栄にも何回か出席のチャンスを得た話題作の初日公演だろうか。

 開演30分前あたりから劇場前に黒塗りのストレッチ・リムジンが横付けされる光景は、壮観の一語に尽きる。

 初日の客席の主役は、ミュージカルなら作曲家である。作曲家がビリー・ジョエル(『ムーヴィン・アウト』)、エルトン・ジョン(『ライオン・キング』『ビリー・エリオット』)のような超有名音楽家なら、尚更にちがいない。

 以前は初日の招待客はブラック・タイが義務づけられていた。しかし、ここ10年はタキシードは着てもわざとノータイとか普通のネクタイとか、一味、ドレスダウンらしさを工夫する人たちも目にするようになった。ジーンズで来ても“木戸を突かれる”ことはない。

 もちろんオール・カップル。当然ながら、男性客より女性客のほうが着飾って来場する人たちが断然多い。とりわけ目につくのは、ゲイ・カップルのオシャレ度の高さである。

 カーテンコールのあとには、もちろんパーティーが待ち受けている。どこでどのようなパーティーを開くか、ここはプロデューサーの腕の見せどころである。

 私がいちばん印象に残っているのは、ディズニー製作のミュージカル第1号、『美女と野獣』の初日パーティーだろうか。なんと会場がニューヨーク名所のひとつ、五番街のニューヨーク・パブリック・ライブラリー1階ロビーだったのには、意表を突かれた。

 1911年施工のこの白堊の建物は、外観にも館内にも由緒正しさがみなぎっている。確かに超一級のパーティーにはふさわしい場所にちがいないが、どうしてここが選ばれたのか。

 ひょっとすると、このミュージカルの見せ場のひとつ、野獣の住む城にある図書室の景に因んだのかもしれない。あそこは舞台美術のゴージャスなこともさることながら、野獣とヒロインのベルが心を通わせ合う重要な場面でもあるのだから。

 もちろんパーティーでシャンパンは飲み放題!こうしてブロードウェイの歴史もまた夜作られる。
という具合に“第二の故郷”の思い出話は尽きないが、この辺で幕を下ろすとしようか。