丸谷才一先生最後の句集「八十八句」 | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

丸谷才一先生最後の句集「八十八句」

 丸谷才一先生の賀状にはかならず自作の一句が添えられていたことを思い出しつつ、遺句集「八十八句」(文芸春秋刊、ただし私家版)を再読する。

 新古今八百年まつる寝正月

 大の「新古今和歌集」好きだった丸谷さんは、お屠蘇(とそ)代わりに好物のシェリー(多分ティオ・ペペ)をちびりちびりやりながら、遥か鎌倉時代に思いを馳せたのであろう。

 丸谷さんがこの句を作られたのは、いつのお正月のことかわからない。ただし八百年という句中の一語から想像するに、2001年から05年あたりの正月ではないかと推測される。

 ものの本によると、後鳥羽上皇の命を受けた藤原定家らが歌選びを始めたのが1201年、とりあえずその作業を終えたのが1205年だったからだ。

 お正月、上機嫌で八百年の歴史のなかにわが身をゆだねるとは、これぞ雅(みやび)の極みではないか。丸谷さんが書評などでよく使われた語彙(ごい)を失礼してお借りすれば、誠に「柄
の大きな」一句である。

 新年と関係なく、この句集のなかから私の好きな句を挙げておく。

  ストリップを見物して
 紐のやう儚きものはバタフライ

 バタフライのお尻のほうが「紐のやう」なのは当然である。前のほうもそうだったのかなと、つい私は想像を逞しくしてしまった。

 この句の季語は本来の意味でのバタフライ、すなわち蝶々である。とすればこの句は春の句ということになる。

 ところてん定女(サダジョ)の恋の話など

 定女はもちろん“一物”事件の阿部定であろう。涼し気なところてん、情痴の果てのあの生々しい事件、その対照の妙が感興をそそる。暑気払いにお定さんの話題ですか。

 私が思わずにやり、くすりと笑ってしまったのは、次の句である。

  掛川、吉行淳之介文学館にて
 涼しさや愛されるのも一仕事

 吉行淳之介文学館は、吉行さんと相思相愛だった宮城まり子が運営する養護施設「ねむの木学園」の敷地内にある。

 楚々とした建て物、隅々までゆきとどいた展示物、館内に漂う凛としたたたずまい、
どれひとつとっても完璧、いや、完璧過ぎるくらいだ。そこに立っただけで、まり子の生涯のパートナーへの愛情がひしひしと伝わって来る。

 死してなお、まり子の愛情をしっかりと受け止めなければならない吉行さんに、同性として同業作家としてやや同情気味ということだろうか。まり子には悪いけれど、「一仕事」に俳諧の滑稽味が滲んでいると思った。

 名句です。


この句集、実は私家版で販売はされていない。ただし、「丸谷才一全集」全十二巻の初回配本(小説「裏声で歌へ君が代を」ほか)を購入すると、入手出来る。
丸谷さんの名句がいっぱい詰まっています。