セゾングループ・リーダーだった堤さんの最大の功績は、流通の場と文化・芸術を交錯させたことだったろう。デパートでの現代美術展覧会に熱心だったし、西武劇場(現パルコ劇場)は、友人安部公房の演劇活動を支えるために作ったと言われている。

 セゾン劇場(のちの ル テアトル銀座)で採算を度外視してピーター・ブルックの前衛劇「マハーバーラタ」を上演したこともそのひとつだった。

 筆名辻井(つじい)喬(たかし)。詩人、小説家としても一家をなした。私は小難しい現代詩は苦手だったが、「虹の岬」「風の生涯」などの小説には大いに惹かれた。前者は川田順(住友本社常務、歌人)、後者は水野成夫(産経新聞社社長、フランス文学翻訳家)がモデルである。読むほうは主人公と書き手をつい重ね合わせてしまわずにいられない。

 随分昔だけれども、西武百貨店社長時代の堤さんといちどだけ雑誌で対談をしたことがある。題して「音楽は常に流行の先端である」(「音楽専科」67年=昭和42年12月号)。46年前のその記事からさわりを拾ってみると、まずは・・・・・。

 堤  カー・ステレオは、これは絶対、日本でも普及すると思いましてね。もう3年前ですか、私も自分の車に取り付けたんです。音はすごくいいんですが、ただソースが少なかった(下略)。

 安倍 はめ込むカートリッジのテープの種類が少なかった・・・・・。
 堤  その頃30種類もありましたか、語学の英語、フランス語、それから小唄です。(中略)車の中で英会話の勉強をしよう、社長族なら小唄の勉強をしよう。いかにも日本人的なんですね(笑)。

 次は、加山雄三(弾厚作)ブームを踏まえてのやりとりである。

 安倍 堤さんのお仕事の上で、今の流行歌に言えるような、昔と変わってきた点、ありますか。
 堤  ものすごく変わってきましたね。色彩についても、たとえば紺の背広にはこういうネクタイを締めるものだ、それ以外のものを締めると、あいつは変わっていると言われてたのが、今はそうじゃなくなってきた。反対色の使い方とか色彩の配分に対する感覚が、この5、6年、ことに目立って変わってきています。

 同業の詩人ということでは岩谷時子さんについてこんな発言も。

 堤  ぼくレコードを30枚くらい全部歌詞を読んでいろいろ特徴を調べたんですけれど、岩谷時子さん、あの人は天才だと思う。何でもない言葉を使って、うまく表現している。

 ビートルズ風ファッションというか、モッズ・ルック発祥の地ロンドン・カーナビー・ストリートについて、こんな発言もしている。

 堤  カーナビーから始まったファッションは、高級な生活にあこがれているんじゃなく、感覚的な領域を広げたいというところから始まったファッションで、今までの日本の百貨店の高級品の大衆化という行き方とはまったく対蹠(たいしょ)的なんですね。

 更に続けて「マスの感覚を常時キャッチすることが大切じゃないか」「音楽の傾向を歴史的にたどれば、その時々の社会的な傾向、服飾の傾向もかなりパラレルにわかるんじゃないのか」という発言も残している。

 堤さんは経営者として理論派であった。96年には中央大学より博士号(経済学)を授与されている。しかし、半面、優れた文筆家であったことが証明しているように繊細な感情の人でもあったと思われる。

(堤さんは11月25日没、享年86)

 今日のブログをもって、ことし最後の回にしたいと思います。皆さん、いいお年を。新年はいつから再開するか未定ですが、よろしくお付き合いください。

「音楽専科」67年12月号掲載、堤さんとの対談より