青柳いづみこさんが、小澤征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラと大西順子トリオが協演した「ラプソディー・イン・ブルー」について、実に詳しく論じている文章が、ふと目についた(岩波書店「図書」11月号。連載「どこまでがドビュッシー?」〈十三〉)。

 青柳さんは、ご存知のように、クラシック音楽のピアニストにして文筆家(音楽ネタのエッセーや研究書、そして小説まで)という二刀流の才女として知られる。今回もその舌鋒はなかなか鋭い。ことし9月6日のコンサート当日午前中におこなわれたリハーサルを聴いての感想である。

 次のような文章は実演家でなければ書けないものだろう。

「大西さんは、ソロの出だしからして、特徴のあるファソファラ-ラ-......のモティーフの二番目のファをはしょり、ファソラーラーという感じで弾いている。つづくラシラソというパッセージでは、四つの音をわざとふぞろいに弾くので、最初のうちは、指がすべってそうなったのかと思ったほどだ。」

 青柳さんからすると、即興部分は即興でかまわないが、譜面に書かれているところはその通り演奏してもらいたかったらしい。

 そもそもクラシック音楽とジャズの融合は、口で言うのはやさしいが、本来、至難のわざである。

「名手小澤さんにしても、複雑に細分化された大西さんのリズムに幻惑され、カウントを取るのに苦労した面もあったらしい。

 ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」は、ジャズと言っても古いラグタイムをもとに作曲されている。一方、大西さんはビーバップ以降のモダン派である。したがって「ラグタイムはどうしても好きになれないのだという。そこで、その部分はなるべく短く切り上げ、自分の即興タイムにもっていきたいということのようだった。」

 以上の指摘も、私自身、コンサートを聴いていないにもかかわらず、思わず膝を叩かずにいられない。

 青柳さんはけなしているだけでなく、次のような讃辞も贈っている。

「連打音をまじえたトッカータ的なフィナーレ部分では、大西さんのドライブ感と曲想が見事にマッチし、トリオも加えたスリリングなアドリブが展開された。やがてピアノの下にオーケストラがもぐりこんできて、金管の大音響で盛り上げる。」

 リハーサルながら、報道陣のほか一般にも公開されていたこともあり、ラストは口笛と拍手の興奮のるつぼだったようだ。

 前回、紹介した村上春樹さんの文章は、本番を踏まえたものであり、青柳さんのは公開リハーサルを聴いてのものだという差異に目をつむり、あえて読み比べをするとふたつの間には、かなりニュアンスの違いが目立ち、私にはすこぶる興味深かった。

 音楽も楽しいが、音楽についての文章を読むのもなかなか楽しい。


青柳いづみこさんのエッセーの載った「図書」11月号です。