今回は聴いていないコンサートについて書く。なんと無謀なという声が聞こえて来そうだが、ご心配なく。音楽を知り尽くし、この上なく愛している人の文章にのっとって、話を進めていくつもりだから。

 まず、そのコンサートとは、ことしの9月6日、サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gigである。曲目はジョージ・ガーシュウィン「ラプソディー・イン・ブルー」。演奏サイトウ・キネン・オーケストラ及び大西順子トリオ。指揮小澤征爾。この演奏会は、つまりクラシックの小澤、ジャズの大西による一世一代のコラボレーションにほかならなかったわけだ。

 この異色の顔合わせのきっかけを作ったのは、村上春樹氏である。その村上氏が、季刊誌「考える人」(新潮社)13年秋号に実現までの道程、このコラボが乗り超えなければならなかった労苦、そして当日の感動などを詳しく綴った長文のレポートを寄せている。今更断わるまでもなく、村上氏は、クラシック、ジャズ、ロックとあらゆるジャンルの音楽に造詣が深い。氏の小説のなかでしばしば音楽が重要な役割を果たしているのは、ご存知の通り。

 すべては、村上氏が小澤を引退宣言した大西順子のラスト・コンサートに連れていったことから始まった。場所は小田急線厚木駅近くの小さなジャズ・クラブ。全プログラムが終了し、本人が引退話をしている最中、小澤が突然立ち上がり、「俺は反対だ」と叫んだというのだ。村上氏は「異例の事態、というかハップニング」と書いている。天衣無縫、純真無垢の小澤ならではの行動である。

 村上氏によると、大西の特色は「表層的なリズムの内側に、もう一つのリズム感覚が入れ子のように埋め込まれている」点にある。しかし、それは「基本的にクラシック音楽のオーケストラのリズム感覚と一致するものではない」。
 しかもオーケストラの部分は譜面通り、大西のソロとトリオの部分は即興演奏である。その水と油のふたつの部分を「どのように繋ぎ合わせるか」。

 ところで本番での成果はどうだったのか?村上氏は「オーケストラはピアニストを理解し、聴衆はオーケストラとソリストが共同で成し遂げていることを理解していた」、「このような共感関係をその場に出現させたのは、言うまでもなく小澤征爾という特別な、存在だった」と述べている。

 村上氏の文章を読む限り、この演奏会は大々成功だった。なぜ聴きにいく手筈を整えなかったのか、今更のように悔まれる。
 引退表明していた大西順子にとって小澤に口説かれ参加したこの演奏会は、おまけのようなものだったろう。ピアノまで処分したという彼女にカムバックはもう絶対あり得ない?

村上春樹さんの文章の載った「考える人」秋号より。


(ORICON BIZ 12/16発売号より転載)
******************************************************************************ORICON BIZに月1回BIRD’S EYE(鵜の目、鷹の目、安倍の目を魅きつけた音にまつわるエトセトラ)というコラムを書いています。1988年8月以来の長期連載で2009年8月までは月2回でした。私のHPにUPして来ましたが、今はこのブログに転載します。過去の回にご興味の方は本ブログ冒頭の安倍寧Official Web Siteをクリックしていただきたく。