十月十四日、レナード・バーンスタインが急逝した。作曲、指揮、ピアノ演奏、レクチャーとなんでもこなしたこの希代の音楽家について、倉橋健氏(早稲田大学名誉教授・英米演劇)が語るエピソードをひとつ。

 一九六七年、倉橋氏はコロンビア大学研究教授としてニューヨークで暮らしていた。夜ごと芝居や音楽会に出掛けるのが日課のようなものだった。

 「バーンスタインがマーラーの『大地の歌』を振ったのを聴きにいったときのことなんです。終章の『告別』の最後のところでEwig ewig…(とわに、とわに…)という繰り返しがあるでしょう。あそこへきたら、くるっと振り向いて指揮をはじめた。そして、腰のあたりに両手をやり抑えて抑えてというジェスチャーをするんです。拍手はまだ早いという意味なんでしょう。指揮者が客席を向いて棒を振るのを見たのは、後にも先にもあのときしかありませんね 」

 「大地の歌」は、マーラーの一種の“白鳥の歌”と言われる。それだけにバーンスタインが天国の人となった今、倉橋氏の胸にこの大曲を指揮したときの音楽家の姿が、こつ然とよみがえったというのも、うなずけるような気がする。
 (1990/11/22)

 (追記)
倉橋健氏はアーサー・ミラーの紹介者としても知られる。1970~89年、早稲田大学演劇博物館館長。2000年逝去、享年81。