スーパーインポーズ、映画字幕の第一人者、戸田奈津子さんは、初対面の人に「字幕の戸田です」と自己紹介するが、この名乗り方に自分の仕事に対する深い愛着と控えめな自負が感じられ、とても感じがいい。

 戸田さんは、女学生のころから英語少女だった。英語の勉強の助けになるということもあって、アメリカ映画やイギリス映画もいっぱい見た。

 そのなかで音楽と深く結びついて忘れられないのが、キャロル・リード監督の名作「第三の男」である。見事なカメラワークでとらえられた第二次世界大戦後のウィーンの街並み、それにかぶさるように流れるチターの響き―。繰り返し見ること数十回を数える。

 あの有名なテーマ曲はもちろん、この映画に使われているアントン・カラスが作曲し演奏している音楽は、ぜんぶ好きだという。カラスが来日したときはコンサートに通い詰めた。

 「酒場で男がウィスキーをあおってイット・メイクス・ミー・アシッド(この酒は私を不機嫌にさせる)というのを、どなたか存じませんが、今夜の酒は荒れそうだって訳されているんです。うまいなあってうならされる名訳ですね」
 (1990/11/8)

 (追記)
 戸田奈津子さん、「今夜の酒は荒れそうだ」は、フランス語字幕の第一人者秘田余四郎氏だと思いますよ。