(前書き)
 秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉
 
 隣りの人もさることながら、私は自分のことが気になります。とりわけ油が切れかかっているのではないか、と。どうやら英気を養う必要がありそうです。そこで生気が戻るまでブログはお休みすることにしました。その間、例によってスクラップブックから昔のコラム「人と音楽」(産経新聞連載)で繋ぐことにいたしました。
 なお文中の年齢、肩書きは当時のままです。

 (本文)
 映画雑誌「ニュー・フリックス」八月号に和田誠氏がサミー・デイビス・ジュニアの追悼文を書いているが、これがすごい。五ページにわたる長尺もので、サミーの魅力、芸風をあますところなく描き出している。
 
和田氏のアメリカ・ショー・ビジネスへの傾倒ぶりは、昭和二十年、敗戦とともに始まった。開眼は米軍向けのAFRS(今のFEN)放送で、サミーの物まねも、最初これで聞いたという。

 当時、和田氏は、GIが持ち込んだタバコやチューインガムの色やデザインにも大いに惹かれるものを感じたそうだ。のちにイラストレーターとして大成する彼らしい。
 アメリカ文化を視覚と聴覚の両方からどん欲に吸収したのである。

 サミーの前には映画「ジョルスン物語」に感動して、アル・ジョルスンのレコードを買いあさったことも。

 「最初に買ったレコードはダイナ・ショアの『ボタンとリボン』でした。貯金箱、壊してレコード店へいったんです」

 ダイナ・ショアが来日した折、この話をしたら、彼女、こう言ったそうだ。
 「あら十七歳の時、同じことしたわ。故郷のナッシュビルからニューヨークに出るためにね」
 (1990/8/9)