(前書き)
 昨日、来日中のミュージカル『ドリームガールズ』について寸評・寸感をUPしました。そこで改めて思い出されるのは、2007年に公開された同作の映画版です。今日は、公開当時、私が朝日新聞に寄稿した文章をアーカイヴからとり出し、お目にかけたいと思います。

(本文)
 きらめく万華鏡のようなショウ・ビジネスの世界の裏側では、いったいどのような熾烈な生き残り合戦が繰り広げられているのか。表面のきらびやかさに幻惑されればされるほど、多分に醜悪であろうその楽屋裏を知りたくなる。それが大衆心理というものだ。
 ショウ・ビジネスの国アメリカで、古くは映画「四十二番街」(1933)のような楽屋物語が、繰り返し映画化されてきた理由の一端が、まさにここにあるといえる。
 
今、私たちは、そのバックステージ・ストーリーの系譜に新たな一頁が加わるのを、目のあたりにすることになった。ダイアナ・ロスとシュープリームスの売り出し秘話、彼女たちの所属したモータウン・レコードの成功物語に基づく映画「ドリームガールズ」(監督ビル・コンドン)の登場である。
 
全篇、ドライヴのきいたブラック・ミュージックによって覆い尽くされている。リズムに合わせて膝が動くのをどうしても押さえ切れない。
 しかし、これらの楽曲を書いたのは白人のヘンリー・クリーガーである。黒人の血ではなく白人の技が書かせた音楽なのだが、でき過ぎなほどよくできている。ほんもののダイヤ以上の人工ダイヤのようなものか。

 クリーガーの楽曲を含め、この映画は同名のブロードウェイ・ミュージカル(81~85)が原作である。総計1522回のヒット作に仕立てた最大の功労者は、振付・演出のマイケル・ベネット(「コーラスライン」)だろう。彼のきびきびとした、そして超パワーフルな舞台作りは、映画にも受け継がれている。
 映画の最後にベネットへの献辞が一枚看板で掲げられているのを、お見逃しなく。
 
「ドリームガールズ」の物語の骨子をなすのは、ヴォーカル・トリオ、ザ・ドリームズの主役交代である。男性スター歌手のバックコーラスから脱しグループ自体の人気を極めるために、マネジャーのカーティス・テイラーJr.(ジェイミー・フォックス)は果敢な手を打つ。リード・ヴォーカルの座から歌唱力抜群だが太目の体型のエフィー(ジェニファー・ハドソン)を追い出し、歌はやや迫力に欠けるものの際立った美貌のディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)にスウィッチするのである。
 
私は、「ドリームガールズ」映画化とその主演にビヨンセが候補に挙がっていると聞いたとき、わが耳を疑わずにいられなかった。舞台を見た限り明らかにエフィーが主役だったからだ。しかし、容姿容貌すぐれたビヨンセが演じるならディーナしかない。
 なるほど映画ではディーナの役柄がかなりふくらませてある。とはいえ、ドラマ展開の鍵を握り、迫力ある楽曲をひとり占めにしているのはエフィー役のハドソンである。クレジットさえトップならと、ビヨンセ側は鷹揚にかまえたのか。
 
もっとも私たち観客にとっては、彼女の美しさ、セクシーさはじゅうぶんに眼福である。80年代にはやったBlack is beautifulという文句を思い出した。
 
テイラーJr.のモデルは、モータウン・レコードの創設者でハワード・ヒューズ黒人版という異名をとったベリー・ゴーディーJr.だろう。テイラーJr.が、ヒット曲を作り出すためラジオ局のDJに賄賂を渡す場面が出てくる。ペイオラと呼ばれ、アメリカ音楽業界では公然たる事実だった。
 
かつてはスティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンも所属したモータウンだが、今はどこへやら?有為転換はショウ・ビジネス界の習いといってしまえば、それまでだけれども――。(朝日新聞 2007.3.1)


映画『ドリームガールズ』にはこんなメイキング本も出ています。
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