マガジンハウス社長。今でこそバランスシートとにらめっこの毎日だが、トップのいすに座るまでは一貫して編集の現場に身を置いてきた。編集者として創刊に携わった雑誌は「平凡パンチ」「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」「オリーブ」など数知れず。
 
 木滑氏と「帰ってきたヨッパライ」の出合いは、昭和四十二年、氏が「パンチ」の二代目編集長をつとめていた時のこと。発売前にニッポン放送「オールナイトニッポン」のDJだった亀渕昭信氏(現在、同放送専務)が持ち込んできた。「いちどで気に入って大々的に特集を組んだ。だから、大ヒットになった時はわがことのようにうれしかったですねぇ」

 時代を先取りする第六感が氏の身上だが、ここでもその鋭い勘がひらめいたのだろう。

 木滑氏が「パンチ」編集長だった昭和四十二年から四十五年には、さまざまな出来事があった。美濃部都知事の登場、安田講堂の攻防、テト攻勢とソンミ村虐殺、ロバート・ケネディ暗殺など。

 「星雲の真っただ中にいる感じだった。目を細めて逆光の向こう側にあるものを見つめると、時代の動きが透けて見えてきたものです」(1990/7/5)
 
(追記)
 木滑さんは、現在マガジンハウス最高顧問。ジーンズがよく似合い、いつ会っても若々しい。亀渕さんは、ニッポン放送社長をつとめたあとポピュラー音楽研究家として活躍している。