三年前の夏、英国出張のおり、現地のイギリス人総支配人のゴルフの誘いを断り、わざわざヘリをチャーターして大賀さんはスコットランドの東側に浮かぶ無人島スタッファ島を訪れた。

 イギリス人の大半がその存在さえ知らない孤島だが、大賀さんにとっては一生のうち一度は訪れなくてはならない島だった。

 大賀さんがメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」を聞いたのは小学校五年生の時。ロ短調で書かれたこの管弦楽曲は暗く重々しい曲調だが、格調あるロマンチシズムに溢れ子供心にも感に入るものがあった。以来、メンデルスゾーンがこの曲を作曲したきっかけとなった北海の洞窟が気にかかっていたのだ。

 「玄武岩でできた柱状の断崖があり、その黒ずんだ大きな口が北海の波を飲み込んでは吐き出していた。空の上からこの光景を見た瞬間、思いを馳せたのはメンデルスゾーンの進取の気性でしたね」

 時は一八二九年。ベルリンに住んでいたメンデルスゾーンがここにたどりつくまでの労苦は並大抵ではなかったろう。思うに声楽家から経営者へという大賀さん自身の歩んで来た道も進取の気性の現われではなかろうか。(1990/4/12)

 (追記)
 大賀さんは指揮者としても活躍した。2011年4月23日没。