地下鉄銀座線銀座駅で乗り降りするとき、かならず耳にする音楽がある。底抜けに明るく、どこかユーモラスな旋律、胸の鼓動を刺激せずにはおかない軽やかなリズム。私たち世代には聴けばすぐに題名が浮かぶが、今の若い人たちはさてどうか。

 高峰秀子が歌った大いにもてはやされた「銀座カンカン娘」です。高峰は映画では大女優、大スターだったが、歌の大ヒットはこれ1曲だけだろう。彼女自身の主演作『銀座カンカン娘』(監督島耕二、1924年)の主題歌で、佐伯孝夫(作詞)、服部良一(作曲)の手になる。

 これまで私たちが慣れ親しんで来たこの歌は、スタジオ録音の高峰秀子のソロだったが、4月末にリリースされた『服部良一/銀座カンカン娘僕の音楽人生<完結篇>』(ビクターエンタテインメント)には、もとの映画のサウンドトラックからの貴重なヴァージョンが採録されている。メインはもちろん高峰だが、彼女のほかに映画で共演した笠置シヅ子、岸井明、灰田勝彦らの声も入っているのが嬉しい。当時の芸達者な人気者が勢ぞろいしているというイメージが強く迫まって来るせいか。

 実は私は、昔からずうっとこの「カンカン娘」という言葉に引っ掛かっていた。多分に意味不明だからだ。カンカンはカンカンに怒る・・・のカンカンかなと思ったりもしたものだ。「指をさされてカンカン娘/ちょいと啖呵も切りたくなるし・・・」という歌詞もあることだし。

 意味は確かに漠然としているものの、「カンカン娘」という語呂は、なんだかとても調子がいいし、口ずさみやすくもある。私もそうだが、多くの人がその調子のよさに乗せられて、この歌に親しんで来たのではなかろうか。

 かたわら私は、この言葉がフレンチ・カンカンやカンカン帽と関係があるのではないかとも想像をたくましくして来た。今回のビクターの新アルバムで「銀座カンカン娘」サントラ・ヴァージョンを初めて聴き、私の想像があながち見当違いではなかったという思いを強くしている。

 なぜなら、高峰のソロ・ヴァージョンにはない次のような文句を見つけたからだ。「夜のキャバレーでカンカン娘/浮いたリズムに唄って踊る」、あるいは「なんて可愛いカンカン娘/チョイと斜めにカンカン被り」とか。
 「カンカン娘」という不思議な言葉をいちばん最初に思いついたのは、いったい誰か?これには諸説あって、この映画の脚本を書いたひとり、山本嘉次郎(映画監督としても高名だった)とも伝えられる。

 一方、作曲者自身がひねり出したものという説もあり、私はそれに組みしたい。1992年にリリースされた『服部良一全集』全7巻(コロンビアミュージックエンタレインメント)の解説書で、音楽評論家の長老、瀬川昌久氏がそう書いているのだが、その内容がきわめて具体的かつ信憑性が高いと思うからだ。

 作曲者の服部氏は作詞者の佐伯孝夫氏を自宅の2階に缶詰めにし、歌詞を早く書くようせっつくのだが、なかなか出来上がらない。そのとき服部氏が佐伯氏に渡したメモのなかに「カンカン娘」という言葉があったというのだ。

 瀬川氏は服部氏とも親しい交流のあったお方だ。瀬川先生にお電話して、そのあたりの裏事情をお尋ねしてみたい。

 (連休中は当ブログもお休みします。皆さん、いいホリディを!)


ビクターより発売された新アルバムより。左より高峰秀子、岸井明、笠置シヅ子

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