服部良一氏が、1950年、NYでレコーディングをしていた | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

服部良一氏が、1950年、NYでレコーディングをしていた

 4月20日付読売新聞夕刊誌会面に、“服部良一 米でブギウギ/現地録音音源発見”という記事が出ていた。

 「『銀座カンカン娘』『青い山脈』など数々のヒット曲を生み、国民栄誉賞を受賞した作曲家、服部良一(1907~93)が、1950年に米・ニューヨークで現地の歌手らと録音したとみられるSPレコードが発見された」というのだ。

 SP両面に収録された2曲は、「ダンシング・デキシーランド・スタイル」(元唄「東京ブギウキ」)「アイル・カム・トゥ・ユー」(「胸の振り子」)で、バンド名はRYOICHI HATTORI&His Orch.。前者は女性歌手ベティ・アレン、後者は男性歌手にロバート・ジャレットの歌入りである。レーベル名はAodorian。

 服部氏は、秘蔵っ子の笠置シヅ子とともに50年(服部25年)6月と渡米、9月ないし10月まで滞在しホノルル、ロサンゼルス、ニューヨークで在米邦人のためのコンサートをおこなった。

 発見された音源は、このツアーの際レコーディングされたと思われる。敗戦からわずか5年、戦争に負けた敵国アメリカで演奏会とレコーディングをなし遂げたわけだ。

 戦前、アメリカでレコードを制作した日本人音楽家がいたかどうか、私は知らない。ニューヨークで鳴らした木琴の名手平岡養一はどうだったのか?

 戦後ということになれば、服部氏のこの録音が第1号だった可能性が多分に高い。

 この4月24日リリースされた『服部良一/銀座カンカン娘 僕の音楽人生<完結編>』(ビクターエンタテインメント)に2曲とも収められているというので、早速聴いてみる。

 多分、服部氏の名前を冠したオケは現地のセッション用ミュージシャンを集めたものか。指揮棒は服部氏自身にちがいない。メロウな音色、ほどよいリズム感が心地よく、おとなの音楽といった雰囲気がみなぎっている。

 歌詞はもちろん英語である。渡米に際して用意されたものか、録音が決まりニューヨークで大急ぎで作られたものか。
 今回のこのSPの発見者であり、音楽評論、とくにジャズとミュージカルの分野では最長老の瀬川昌久氏が、読売に寄せた談話によると、「服部さんの楽曲が米国で録音された記録はない。貴重な資料と言える」

 瀬川氏は、数年前、神田神保町の中古専門レコード店、富士レコード社よりこの貴重な一枚を入手したという。

 男女それぞれの歌手が受け持ったヴォーカルも、服部メロディーの情感に寄り添いつつ、アメリカのスタンダード曲かとつい錯覚したくなるふし回わしを聴かせる。決してフジヤマ、サクラのジャポニズムではないということだ。

 ベティ・アレンのリズミカルな乗り、ロバート・ジャレットの風格あるバラード唱法、当時の日本人歌手では持ち得なかった技法であり味わいである。

 長年、私はJ-POPの元祖は服部良一氏だと思い続けて来たが、この2曲はそのことを裏書きして余りある。
(続く)

2曲が入っている新アルバム
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