前回の当ブログに、麻生香太郎著『誰がJ-POPを救えるか?マスコミが語れない業界盛衰記』(朝日新聞出版)のさわりの一部を紹介したが、ほかにも興味津々との個所がいっぱいある。

 本書は全10章からなり、そのうち9章に「・・・・・・がJ-POPを殺した」という題名がついているが、9章のうち個人名が出て来るのは第3章の「つんくがJ-POPを殺した」だけだ。残りのソニー、韓流、歌番組、圧縮技術など非個人的名称が並ぶ。

 90年代を彩った音楽プロデューサーのなかから、つんくが槍玉に上がったふしがある。

 どんなに優れた天才的プロデューサーだって永遠にヒット曲を出し続けることは出来ないだろう。つんくがヒットの神から見放されたことについて、麻生さんは、只今現在、絶好調の秋元康と比較し次のように簡潔に結論づけている。

 「簡単にいえば秋元康は作詞家であって、作曲ができない、ということだ。おニャン子クラブのときは後藤次利(作曲家)という名コンビがいたが、今回はどちらかというとフリーハンドだ。」
 「つんくは、基本、作詞から作曲まで(多くはアレンジ~編曲~のアイデアまで)全部一人でやろうとしたが、秋元は、曲は外部から募る形にした。」

 つんくブームは去ったとはいえ、麻生さんは十分に彼の能力の高いことを認めている。

 「少女の潜在的成長力を見抜く力は彼の年齢にしては超人的だった。女性版ジャニーさんという声もあったくらいだ。」
 「つんくのJ-POPへの貢献は認める。人間としても優しいし、才能も豊かだ。ドラマや映画をこまめに見て勉強も怠らない。だが、そろそろ外野の意見にも耳を傾けるべきではないだろうか。」

 「つんくがJ-POPを殺した」の章で麻生さんが指摘している問題のうち、つんく個人についてよりももっと重要なのは、秋元康のプロデュースに代表されるような“競作のコンペ形式”の落し穴ではないかと思われる。

 「80年代から、それまでの『作詞家、作曲家の先生にお願いする』という形から、『まずメロ先で、多くの作曲家やソングライターに声をかけ曲数を集める。そこからいいと思われる楽曲を5~6曲選んで、歌詞を作詞家やソングライターにつけてもらい(これも競作のコンペ形式もある)、出来上がったものの中から、シングルのA面にふさわしい曲を選ぶ』という形に業界は変化した。」

 この形式は「よくいえば実力勝負、悪くいえば使い捨て」、「かつてのような職人肌の職業作詞家、作曲家が消滅したのは、コンペ参加料の保証のないシステムでは食っていけないからだ。」

 採用される当てのない(報酬の当てがない)コンペに参加し続けることは、当人の生き甲斐を奪うことに繋がる。人生は甘くないが、生き甲斐なくしてプロフェッショナルなクリエーターが生まれるはずもない。

 というように麻生さんの新著には読みどころがいっぱい詰まっている。私はこの本を一種の“警告の書”として読み、教えられるところ多大なものがあった。


麻生香太郎さんです。
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