この3月5日、80歳で亡くなった二川幸夫氏は、日本で建築写真家といえばこの人しかいない、そんな重みを感じさせる存在だった。年がら年中、重い機材をかついで世界中を飛び歩いていた元気な人だっただけに、こんなに早く世を去ることになるとは誰もが思いもしなかったろう。

 本人からして125歳まで生きて仕事をすると公言して憚らなかったし、見たところもいかにも頑健そうだったのに─。

 二川さんと私の交遊は1970年代の後半から始まった。始終お会いするわけではないが、息の合った、また気心の知れた友人関係がおよそ35年間続いたわけだ。共通の人生の楽しみが美味探求だったからか。

 初対面の頃、すでに二川さんはパリはおろかフランス中の三ツ星レストランを制覇し、新顔が現れるとすぐに出掛けるほどの美食家だった。こちらはポール・ボキューズにあと何軒かという頃だったから、これはかなわないと思ったものだ。

 あるとき、偶然パリで顔を合わせる機会に恵まれたところ、ただちにシャンパンの産地ランスに誘われた。そこにある三ツ星ショーミエールでディナーをしようというのだ。当時、ここの主人兼シェフのジェラール・ボワイエの名前は天下に鳴り響いていたから、二つ返事で同行することにした。

 ランスはパリの北東144キロのところにある。足は二川さん運転するところのベンツである。パリっ子なら高速道路で1時間ほどのドライヴだろうか。さすがに二川さんはそれほど飛ばさなかった。でも帰りは二川さんも結構ワインを聞こし召しておいでなのでかなり恐かった。

 あの晩、なにをご馳走になったのか、残念ながらまったく記憶にない。高名な料理評論家アンリ・ゴー著『フランスのレストラン ベスト50』(佐原秋生訳)で調べたら、「子牛の胸腺の薄切り、胡桃オイル入りサラダ」に90.3点と高得点がついていた。

 ショーミエールでの晩餐の予約は8時からだったが、ランスに着くと二川さんは、その前にちょっと立ち寄りたい場所があるという。連れていかれた先は、13世紀に建てられたノートルダム大聖堂だった。

 多分、初夏だったのだろう、午後7時の空は青々と輝いていた。二川さんはカメラを構えることはせず、ただ聖堂から遠く離れたり、またそこに近づいたりしつつ、建物に鋭い視線を投げかけていた。

 二川さんは撮影に当たって補助手段としての照明は一切用いない。常に自然光のなかでその建造物を捉えることを基本的姿勢としている。一生、ほんのちょっとでもその二川主義を崩すことはなかった。

 あのときランスで二川さんは、
「この時期でこの時間だと、どんな光線の具合かを確かめればいいんですよ。改めて本格的に撮影に来るときのためにね」
と言っていた。

 二川さんとランスに出掛けた思い出というと、三ツ星レストランでの晩餐より大聖堂前での撮影の下見のほうが、ずっと鮮明に記憶に残っている。

 プロフェッショナルとしての用意周到さを覗き見たせいにちがいない。

ありし日の二川幸夫氏。
$安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba