映画でも舞台でもその楽屋裏で起こるごたごたのほうが作品より面白いことがある。というわけで、前回、三枝成彰作曲の新作オペラ『KAMIKAZE-神風-』の配役騒動を紹介した。

 しかし、作品そのものについてはくわしく触れる余裕がなかった。真剱に論じるべきは舞台の出来具合であるべきなのに─。

 題名から想像がつくように、このオペラは太平洋戦争当時の特攻隊を題材にしている。時は戦争末期の1945年4月、ところは陸軍特別攻撃隊基地のあった鹿児島県知覧町である。

 米軍艦への体当たり攻撃を敢行する特攻隊機が、きょうも飛び立っていく。隊員にとって往きて帰らぬ人となるのは覚悟の上のことだ。

 三幕構成の壮大で悲壮なオペラの主人公は、神崎少尉(ジョン・健・ノッツォ)。出撃前の彼を訪ね、東京から知覧にやって来る婚約者知子(小川里美)との一夜が、当然ながらいちばんの見せ場となる。

 別の隊員の妻は、出撃する夫を阻止しようと滑走路に立ちはだかる。他にエンジン事故で已むなく戻って来た屈辱の隊員、隊員たちの母親代わりの旅館の女将など。

 登場人物も状況設定も格別の新味はない。

 原案、原作は、あの高名な経営コンサルタント堀紘一、脚本福島敏朗。全体の構成に悲劇としての大きなうねりが欲しかった。

 もし筋立てのもの足りなさを音楽が一掃していたら、事情はまた違っていただろう。ところが、アリアも合唱も残念ながら私の胸をうち震わせてはくれなかった。音楽そのものが、今、舞台上で起こっている悲劇と私とを同化させてくれないのだ。とくに歌のないパートは、ゲキバンに聴こえて仕方がなかった。

 三枝は、パンフレットでオペラを書く自らの姿勢について、
「美しいメロディーやハーモニーを書き進むうち、日本人でありながら、西洋発祥の難解な音楽を作ることを仕事にしていたジレンマから開放され、目の前の霧が晴れるような思いを味わった」
 と書いている。

 「美しいメロディーとハーモニー」「霧の晴れるような思い」と言われてもねえ。私にはそういう三枝の思いを共有することがとても難しかったのだけれど。

 見ている間中、睡魔との戦いであった。あたりを見渡すと、あちこちでコックリコックリ。第1幕で帰る人もいた。第2幕が終わったときはその数はもっと多かった。

 四つのアリアの歌詞を大貫妙子が書いている。去年、90歳で亡くなった彼女の父君は、特攻隊生き残りだったという。

 歌詞はすべて字幕に映し出されるので、つい字幕に目がいってしまう。アリアは、詞、曲、歌唱が一体となってこちらの魂を揺さぶってくれなくてはいけないのに、到底、その境地には至らなかった。

 アンコールでひとりだけブラヴォーを叫ぶ観客がいた。なぜか空虚に響いたが、その人は声を挙げ続けていた。本気でいいと思っているのか、サクラなのか?

 私とて特攻隊の悲劇を風化させたくない。その思いは原作者、作曲者と同じである。けれど、それとオペラ化という試み、その成果はまったく別である。

 私が観劇した当日(2月1日、東京文化会館大ホール)、数々のVIPのなかにオペラ通の小泉純一郎元総理、ジャンルこそ違え第一級のプロ音楽家山下達郎の姿もあった。率直な感想をこのふたりに尋ねてみたい。

 なお当日の演奏は新日本フィルハーモニー交響楽団、指揮大友直人であった。