1月13日付け日経新聞「俳壇」の第一席から第三席まで、なぜか小沢昭一さん追悼の句がずらりと並んだ。選者は黒田杏子さん。

 小沢昭一ごすいせん伊勢大神楽
           桑名 辻内三重子

 昭和連れ変哲氏逝く霜の朝
           朝霞 松本修

 昭一的こころいろいろ虎落笛
           高岡 野尻徹治

 今、私は「なぜか」と書いたが、理由は明々白々である。選者の黒田さんが熱烈な小沢ファンだったということだ。

 選者の寸感を引用しておく。

 「辻内三重子氏の句。去年12月10日長逝の小沢さんは日本古来の芸能の研究者でもあった大俳優。松本修氏の句。東京・蒲田での少年時代を語ってやまなかった氏の俳号は変哲。野尻徹治氏の句。旅送通算一万四一〇回『小沢昭一の小沢昭一的こころ』は圧倒的ファンに支えられた驚異的長寿のラジオ番組。」

 小沢さんは、“大俳優”だったかもしれないが、俳優という枠に捉われず実にさまざまな分野で活躍した。ここに選ばれた三つの俳句には計らずも彼の多面性が浮き彫りにされている。

 すなわち第一席の句には芸能研究者としての、第二席の句には俳人としての、第三席の句には話芸の達人としての側面が見事に掬い採られている、ということだ。これは選句の妙味と言えなくもない。

 (なお第三句の虎落笛は、もがり笛と読む。冬の季節。烈しい寒風が柵、垣根、電線などに当たり、笛の音のような音を発することをいう。)

 小沢昭一追悼では、TBSラジオ『永六輔の土曜ワイド』(2月2日)で麻布中学の同級生だった俳優の加藤武さんが語った思い出話が、ひときは胸を打った。

 それは芝居を携えての地方巡演中の出来事であった。ある町で公演がハネたあと、地方名士たちとの宴会がおこなわれることになった。

 宴もたけなわ、お偉いさんのひとりが、「おい役者、お酌をしろ」と盃を突き出した。小沢昭一は、あわてず騒がず、「いたしますが、お祝儀を頂戴いたしたく・・・」
 そのお偉いさんが渋々財布から一万円をとり出すと、小沢さんは一杯だけ酒を注ぎ、そのまま座敷を出ていったという。

 さて翌日、一座は次の巡業地へ向かうべく駅に集合する。小沢はいつの間に用意したのか一本のネクタイをとり出した。どう見ても一万円以上しそうな高価な品だった。次いで一枚の名刺をとり出し、もう用なしとばかり、こまかく引き裂いたかと思うと、ぱぁっと空中に放り投げた。昨夜の一件はこれでケリがついたかというように─。

 宴会をぶち壊さず、役者としての面目と誇りを保つために、小沢昭一ならではの見事な“芸”を披歴したということだろう。

 お返しが届いたときのお偉いさんはどんな表情を浮べたのか、見てみたかった。