前回、変哲こと小沢昭一さんの俳句について記し、例句のひとつとして、

 セーターや作り笑いの岡晴夫

 を挙げた。

 しかし、平成の時代、岡晴夫については脚注が必要かもしれない。大正5年(1916年)生まれ、1970年(昭和45年)没。「憧れのハワイ航路」「東京の花売り娘」で一世を風靡した歌手である。鼻にかかった甘い声が売りものだった。

 小沢さんは、セーター姿で作り笑いを浮べながら歌うオカッパル(岡の愛称)を、テレビででも目にしたことがあるのだろうか。作り笑いというひとことが、ややニヤケた二枚目風の岡の本質をつかまえて見事である。さすがの観察眼!

 変哲氏には歌手の名前は入っていないが、こんな句も─。

 FMのダンモ五月の歯医者かな

 トマト煮てワイフ突然カンツォーネ

 秋の夜の紅茶東京ラプソディー

 マイブルーヘブン夜寒の家路かな

 野暮を承知であえて脚注をつける。ダンモはモダン・ジャズのこと、ジャズメンの隠語である。

 東京ラプソディーはもちろん藤山一郎の大ヒット曲「東京ラプソディ」(作詞:門田ゆたか、作曲:古賀政男)である。昭和11年(1936年)に発表された。古賀というと、怨念のかたまりのような演歌の大御所のように思われがちだが、昭和モダニズムの典型のような明るい曲調の歌を書かせても名手だったことを忘れてはなるまい。

 藤山一郎は、東京音楽学校(現芸大)声楽科出身の流行歌手第一号。『紅白歌合戦』のラストの大合唱「蛍の光」の指揮者としてその姿を記憶にとどめる人も多いはずだ。

 「マイブルーヘブン」は、もちろんアメリカのスタンダード曲「My Blue Heaven」である。日本でも昭和の初めから、「せまいながらも楽しいわが家・・・」の堀内敬三訳で長らく親しまれて来た。

 こうやって注釈を加えながら変哲氏の句を紹介していると、昭和の名残りは小沢さんが全部あの世に持ち去ってしまったような気がしないでもない。

ありし日の小沢昭一さん。
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