普通、変哲という文字は、何の変哲もないというように否定型で用いられることが多い。その変哲をそのまま俳号にした小沢昭一さんは、自身が世間の常識からはずれた変わり者であること自負?いや少なくとも自認していたのだろう。

 俳優で伝統芸能研究者でもあった小沢さんは、また一流の俳人でもあった。小沢さんが亡くなったのは去年の12月10日だったが(享年83歳)、その10日後の12月20日、『俳句で綴る変哲半生記』(岩波書店)が刊行された。ここには生涯に詠んだ全俳句四千句が収められている。

 残念ながらこの全句集の出版は本人の生存中に間に合わなかった。辛うじて見本が一冊、お棺に納められたと聞く。

 読売新聞の名物コラム「編集手帳」(1月11日付け)でもこの句集に触れ、「毎日ほんの数ページずつ、年をまたいで読み継いでいる。(中略)“小沢昭一的ココロ”にニヤリとさせられる句もあって楽しい。」と書いていた。

 変哲氏の代表句のひとつ、

 寒月やさて行く末の丁と半

 は、芸能放浪者としてのあす知れぬ身を詠んだものだろうが、「編集手帖」氏のように、「あすの暮し向きに目を凝す世間の心に似ている」と読めなくもない。

 ところで、この小沢昭一全句集には、昭和歌謡を愛し、自らハーモニカを吹いて歌った小沢さんらしく歌にまつわる句が結構目につく。そのいくつかを紹介したい。

 紅茶入れてディック・ミネ聴けば春雷

 ピンク・レディ聴く手内職の夜や一葉忌

 セーターや作り笑いの岡晴夫

 カーラジオ八代亜紀なりみぞれ降る

 小沢さんが好きだったディック・ミネの歌はなんだったのだろう。「ダイナ」か「上海ブルース」か。

 小沢さんはよほどディック・ミネが好きだったらしく、

 ディック・ミネ聴く暖かき宵であり

 という句もある。

 昭和モダンということでは、確かにミネさんと昭ちゃんは一脈相通じるものがあるのでは─。


全生涯詠んだ四千句が収められている。
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