『紅白歌合戦』で見せた美輪明宏の絶唱 | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

『紅白歌合戦』で見せた美輪明宏の絶唱

 明けましておめでとうございます。

 とはいえ正月も早、七日を数えます。

 炬燵居(こたつゐ)のふた草あらぬ七日粥 角川源義

 こたつも七日粥(七草粥)もとうに私たちの生活から姿を消してしまった。七草粥の七草とはなにとなにか、知る人も少なくなったろう。

 ところで、時計を1週間ほど戻し、2012年大みそかの『紅白歌合戦』の話題を。全番組を通して私の胸にいちばん強く響いたのは美輪明宏「ヨイトマケの唄」であった。

 ある少年の眼から見た母の半生を、一見淡々と、しかし、盛り上げるべき個所は見事に盛り上げた天晴れな歌いぶりだった。あらゆるジェスチャアを排し、微動だもしないその立ち姿からはある種の神秘性さを感じられたくらいだ。

 ヨイトマケという掛け声とともに大勢の男たちに混じって重い網を引く母の姿が、目の前に立ち現れるかのようだった。

 美輪自身の作詞作曲による「ヨイトマケの唄」には一組の母と子のドラマがある。貧しかった戦後日本のひとこまのような光景が繰り広げられる。「紅白」の美輪は、この切実な人間ドラマとそこに隠された人生の真実を輪郭鮮やかに描き出して見せた。

 私が美輪の「ヨイトマケの唄」を聴きながら、改めて納得せずにいられなかったのは彼の原点がシャンソンだということである。

 なぜなら、シャンソンほど人生の真実を内に秘めた歌はほかになく、シャンソン歌手ほどその真実を歌に昇華することに心苦を重ねる歌手はほかにいないだろうから。

 美輪明宏は、1952年(昭和27年)頃から銀座7丁目のシャンソン喫茶「銀巴里」に出演していた。当時は本名の丸山臣吾がそのまま芸名だった。愛称はシンゴちゃん。私がこの店で彼の歌を聴いたのは53年(昭和28年)だったと記憶する。

 ういういしい少年歌手だったはずなのに、おとなびた印象が残っている。

 77歳の美輪明宏が、なぜ、2012年『紅白』に初登場し、他の歌手の持ち歌の倍もある6分の「ヨイトマケの唄」を歌うことになったのか、その裏事情については知る由もない。また、美輪のこの歌がどれだけ多くの人たちの琴線に触れたかもわからない(ちなみに視聴率は歌手別で第6位の45.4%という立派な数字を残している。)

 しかし、美輪という存在と心情あふれる「ヨイトマケの唄」が、『紅白』で格別異彩を放っていたのは、まぎれもない事実ではなかったろうか。

 
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