ひとこと、ご挨拶です。
ことし一年、文芸・映画・演劇・音楽などさまざまな分野での多くの胸ときめく出逢いがありました。来年もまた、更なる興奮・感動・陶酔と巡り逢うことを密かに願っています。
では本年最後のブログは、新しい年の期待の舞台を紹介して締めたいと思います。
皆さん、よいお年をお迎えください。
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南仏ニースまでこのミュージカルを見にいったとき、会場で買ったはずのオリジナル・キャスト盤を捜し出し、改めて聴いてみる。
アルバムからあふれんばかりに響いて来るのは、70年代のフレンチ・ポップス調か。シルヴィー・ヴァルタン、ミッシェル・ポルナレフが嫌いじゃなかったフランスびいきとしては、結構浮き浮きして来る。しかし、その分モーツァルトも、彼の宿敵? サリエリもどんどん遠ざかっていく印象も否めない。
ミュージカルではなく、ストレート・プレイだけれど、モーツァルトを主人公にした舞台では『アマデウス』(ピーター・シェーファー作)という超傑作がある。神とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとアントニオ・サリエリの三角関係を見事浮き彫りにしたお芝居で、映画化もされアカデミー賞作品賞に輝いた。
蛇足を承知でつけ加えると、アマデウスとは神の寵愛を受けし者という意味である。
さまざまな劇的事件に彩られたモーツァルトの短い生涯を描いたミュージカルとしては、ウィーン発の『モーツァルト』がある。台本・作詞ミヒャエル・クンツェ、作曲シルヴェスター・リーヴァイ、すなわち『エリザベート』を成功させたコンビの手になる。
今回の『ロックオペラ モーツァルト』で山本耕史ともどもモーツァルト、サリエリの二役を日替わりで演じる中川晃教は、そもそもこのウィーン発ミュージカルでメジャー・デビュウした俳優・歌手である。この公演ではモーツァルトを井上芳雄とダブルで演じ話題を呼んだ。
中川とモーツァルト、更にはダブルキャストとは奇妙な因縁で結ばれているようだ。
ところで今回の『モーツァルト』日本公演である。ウィーン発の同じネタのミュージカルとごっちゃにならないよう、本来ならサブタイトルであるべき〝ロック・オペラ〟という断わり書きがメイン・タイトルのなかにまで入り込んで来ている。地元のフランスで上演されたときはそんなことなかったけれど。
そうなんだ、この作品はミュージカルではなくオペラだったんですね。しかし、私の見た限りではオペラと名乗るほどの高い志は、作品のどこにも見当たらなかった。同じくロック・オペラを名乗る『トミー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』が、永遠に? オペラ・ハウスで上演されることがないように、この『モーツァルト』がスカラ座やメトロポリタン・オペラ・ハウスに登場することはよもやあるまい。
私がこの〝自称〟ロック・オペラを初めて南仏で見たのは2010年6月のことだった。公演場所は劇場ではなく体育館みたいな大きな〝箱〟だった。客席は10代~20代の女の子たちで埋め尽くされ、ひいきの出演者が現われると、その歓声、嬌声のすさまじいこと! 撮影、録音ご自由にどうぞとあって場内は盛り上がるだけ盛り上がっていた。
日本初公演の目玉はブロードウェイから参加する演出家フィリップ・ウィリアム・マッキンリーの差配ぶりであろうか。マッキンリー氏は、一時は沈没しかかっていたブロードウェイ・ミュージカル『スパイダーマン/闇を消せ』の助っ人役をつとめたキャリアを持つ。サーカスの演出では定評のある人らしい。
モーツァルトとサリエリの空中戦? をつい期待しちゃったりして。
(コミュニティ・マガジン「コモ・レ・バ」2013年冬号より転載)
ことし一年、文芸・映画・演劇・音楽などさまざまな分野での多くの胸ときめく出逢いがありました。来年もまた、更なる興奮・感動・陶酔と巡り逢うことを密かに願っています。
では本年最後のブログは、新しい年の期待の舞台を紹介して締めたいと思います。
皆さん、よいお年をお迎えください。
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南仏ニースまでこのミュージカルを見にいったとき、会場で買ったはずのオリジナル・キャスト盤を捜し出し、改めて聴いてみる。
アルバムからあふれんばかりに響いて来るのは、70年代のフレンチ・ポップス調か。シルヴィー・ヴァルタン、ミッシェル・ポルナレフが嫌いじゃなかったフランスびいきとしては、結構浮き浮きして来る。しかし、その分モーツァルトも、彼の宿敵? サリエリもどんどん遠ざかっていく印象も否めない。
ミュージカルではなく、ストレート・プレイだけれど、モーツァルトを主人公にした舞台では『アマデウス』(ピーター・シェーファー作)という超傑作がある。神とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとアントニオ・サリエリの三角関係を見事浮き彫りにしたお芝居で、映画化もされアカデミー賞作品賞に輝いた。
蛇足を承知でつけ加えると、アマデウスとは神の寵愛を受けし者という意味である。
さまざまな劇的事件に彩られたモーツァルトの短い生涯を描いたミュージカルとしては、ウィーン発の『モーツァルト』がある。台本・作詞ミヒャエル・クンツェ、作曲シルヴェスター・リーヴァイ、すなわち『エリザベート』を成功させたコンビの手になる。
今回の『ロックオペラ モーツァルト』で山本耕史ともどもモーツァルト、サリエリの二役を日替わりで演じる中川晃教は、そもそもこのウィーン発ミュージカルでメジャー・デビュウした俳優・歌手である。この公演ではモーツァルトを井上芳雄とダブルで演じ話題を呼んだ。
中川とモーツァルト、更にはダブルキャストとは奇妙な因縁で結ばれているようだ。
ところで今回の『モーツァルト』日本公演である。ウィーン発の同じネタのミュージカルとごっちゃにならないよう、本来ならサブタイトルであるべき〝ロック・オペラ〟という断わり書きがメイン・タイトルのなかにまで入り込んで来ている。地元のフランスで上演されたときはそんなことなかったけれど。
そうなんだ、この作品はミュージカルではなくオペラだったんですね。しかし、私の見た限りではオペラと名乗るほどの高い志は、作品のどこにも見当たらなかった。同じくロック・オペラを名乗る『トミー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』が、永遠に? オペラ・ハウスで上演されることがないように、この『モーツァルト』がスカラ座やメトロポリタン・オペラ・ハウスに登場することはよもやあるまい。
私がこの〝自称〟ロック・オペラを初めて南仏で見たのは2010年6月のことだった。公演場所は劇場ではなく体育館みたいな大きな〝箱〟だった。客席は10代~20代の女の子たちで埋め尽くされ、ひいきの出演者が現われると、その歓声、嬌声のすさまじいこと! 撮影、録音ご自由にどうぞとあって場内は盛り上がるだけ盛り上がっていた。
日本初公演の目玉はブロードウェイから参加する演出家フィリップ・ウィリアム・マッキンリーの差配ぶりであろうか。マッキンリー氏は、一時は沈没しかかっていたブロードウェイ・ミュージカル『スパイダーマン/闇を消せ』の助っ人役をつとめたキャリアを持つ。サーカスの演出では定評のある人らしい。
モーツァルトとサリエリの空中戦? をつい期待しちゃったりして。
(コミュニティ・マガジン「コモ・レ・バ」2013年冬号より転載)