歳の瀬になると、おのずと思い出す一行がある。

 “People come, people go”

 ミュージカル『グランド・ホテル』(1989年、ブロードウェイ初演)のなかの科白です。世の無常をさり気なく言い当てているように思えませんか。

 気がつくと新旧世代の交代がおこなわれているのは、人だけではない。文芸、音楽、演劇、映画各ジャンルの作品もそうだ。ハードウェアのはずの建築も例外ではない。

 ちょっと先になるが、青山劇場、青山円形劇場が2015年3月いっぱいで閉館になるというニュースにはかなり驚かされた。ふたつともミュージカル・ダンス・演劇ファンにはおなじみの劇場だけに、スタッフ・キャスト側、観客側双方に大きな波紋を投げ掛けている。

 運営母体の「こどもの城」は施設の老朽化を挙げているが、開場したのは85年11月のことですよ。そんなに早く建物にガタが来るものだろうか。なお、閉場後の更地になった敷地の再利用については、目下、白紙だという。

 というわけで、私のスクラップ帖から、青山劇場名物のひとつ少年隊ミュージカルと同劇場誕生のいきさつについての一文があるので、皆さんにお読みいただきたいと思います(2005年7月30日、中日新聞に掲載。のちに拙著『喝采がきこえてくる』KKベストセラーズ刊に所収)。

----------------------------------------------------------
 少年隊ミュージカル二十周年

 7月の青山劇場は少年隊ミュージカルの季節!舞台には錦織一清、東山紀之、植草克秀の汗が飛び散る。99.9%パーセントが女性の客席からは、すさまじい嬌声が絶え間ない。
 空中遊泳の東山が、彼女たちの頭上すれすれに降りてくる瞬間は、場内の壁がすべて反響板になったのかと錯覚するくらい、大歓声が巻き起こる。
 少年隊ミュージカルはことしでちょうど二十周年を迎えた。同じ劇場、同じ月、同じ主演スターのシリーズが二十年間も続いたこと自体、日本ショウ・ビジネス史上、類のない出来事ではなかろうか。

青山劇場は1985年11月15日に開場した。こけら落としの演目は劇団四季公演「ドリーミング」。メーテルリンクの名作「青い鳥」に材を得たミュージカルである。
 第一回少年隊ミュージカル「MISTERY」は翌年86年7月の上演だから、開場初年度内の出し物のひとつということになる。つまり、このシリーズは、青山劇場とともに歩み続けてきたといってよい。そして、ことし7月14日、通算800回の記録を達成した。

 最近は当時の面影を知る人も少なくなったが、青山劇場が建つ前のこの付近一帯は、都電車庫跡地で草茫々のありさまだった。

 青山劇場は、“こどもの城”と呼ばれる多様な児童福祉施設のなかにその一部として組み込まれている。施設自体の建設、完成後の運営などすべて厚生省児童家庭局の主導で進められたプロジェクトである。土地については国が都から買い上げるため約20億円が計上された。上物の建物も国立の施設として国庫でまかなわれた。

 この種の新プロジェクトは、身も心も投げうって邁進する官僚がいないと、思うように進まない。こどもの城の場合は、計画作成にあたった児童家庭局長竹内嘉巳さんの熱意と努力があずかって大きかった。のちに竹内さんは、こどもの城の運営母体、(財)日本児童手当協会(現・児童育成協会)二代目理事長に就任する。

 少年隊ミュージカルスタート時、実はこの企画についてこどもの城内部、周辺で強い危惧を抱く向きがなかったわけではない。デビュウ盤「仮面舞踏会」(85年12月)、二枚目「デカメロン伝説」(86年3月)とたった二枚のシングルしか出していない新人だったのだから、当然といえる。

 反対派には、公共性の強い劇場で商業的なアイドル・タレントが跳梁するのは好ましくない、という意見の人たちも多かったようだ。

 これら反対意見に対し竹内理事長の態度がブレなかったのは、少年隊のファン層が十代、もしくはそれ以下で、じゅうぶん児童福祉の理念に沿っていると考えたからだ。

 もうひとつ三人の所属プロ、ジャニーズ事務所をとり仕切るメリー喜多川さんへの竹内さんの信頼感も見逃せない。
 メリーさんは、少年隊がデビューまでに歌、ダンスのレッスンを重ねてきていること、今後、息の長いミュージカル・タレントに育て上げたいと思っていることなどを強調して已まなかった。亡き竹内さんはその彼女のいい分を役人にはめずらしく理解できた人だった。

 ところで少年隊にはメリーさんのほかにもうひとり“母親”がいる。応援団長の森光子である。別に演技指導するわけではないが、初日はもちろん、しばしば劇場に現れる。
 それだけでなによりの励ましになろう。名店のおにぎり、カレーなどの楽屋見舞いも三日と間が空かない。実母以外に母親がふたりもいて、少年隊は果報者である。(2005.7.30)


青山劇場前のオブジェは岡本太郎作。これもとり壊されてしまうのかな。
$安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba