ひとりの歌手が歌った歌詞の100パーセント近くを、ひとりの作詞家が手掛けたというケースは、世界的にも類がないのではないか。

越路吹雪(1924~1980)と岩谷時子(1916~)との間には越路がこの世を去るまで、そうそう希に見る関係が続いた。しかも岩谷は越路のマネージャーでもあったのだ。

ふたりは、ことあるたびに「イケズ!」「スカタン!」と言い合ったという。

この芝居、『Chanson de 越路吹雪ラストダンス』(作:高平哲郎、演出:山田和也)の幕開きに車椅子の岩谷(斉藤由貴)が登場する。“聖女”というニックネームを奉られたこともある本人と瓜ふたつでギョッとなる。

斉藤は声がか細いのが気になったが、見事に大スターを支え続けた蔭の人物になり切っていた。

高平の脚本は、越路と岩谷の宝塚歌劇での出逢いから越路の臨終までの一生を急ぎ足でたどろうとするあまり、舞台美術家真木小太郎(別所哲也)とのロマンス、音楽家内藤法美(大澄賢也)との結婚も、ただ観客の目の前を通り過ぎて行くのみ。

エピソードも歌も(20曲以上ある)詰め込み過ぎた。

越路は、1953年に初めてパリを訪れ、エディット・ピアフのシャンソンに出会い、それまで自分が歌って来た歌はなんだったのか、深い疑問にとらわれる。こういうヒロインの内面こそ掘り下げてもらいたかったのに。

“シャンソンの女王”“大輪のミュージカル女優”、そして“恋多き女”と謳われた越路吹雪を演じたのは、宝塚の後輩、瀬奈じゅん。“そっくりショウ”をやってくれとはもちろん言いませんよ。でも、どういう越路像を作ろうとしているのか、その意図が見えて来ないのも実に困る。

これは脚本、演出の責任でもある。

シャンソンについてもまったく同じ。越路ぶしで歌わなくったっていい。ただし瀬奈演じる越路の歌、少なくとも瀬奈自身の個性が滲み出た歌になっていて欲しかった。

往年の越路ファン(私を含め)にはどこか腑に落ちない舞台だったが、越路なんかどうでもいい瀬奈ファンにとっては大いに楽しめた出来だったのだろうか(12月17日、シアタークリエにて所見)。

【公式サイト】http://www.lastdance-koshiji.com/

越路を演じる瀬奈。
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越路を演じる瀬奈と岩谷時子の斉藤由貴。
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