(前書き)
先週、3回にわたって“森光子特別対談”を掲載しました。そして、その最終回に森光子生涯いちどのディナーショウの話題が登場します。

幸い、私はこのショウが上演された時点で見たまま、感じたままをコラムに残しているのでここに改めて再録したいと思います。

どんなにすばらしいショウだったか皆さんが想像をたくましくするのに、このコラムが少しでもお役に立ったら幸いです。

(本文)
これが最初でこれが最後という森光子ディナー・ショウ(1月31日、2月1日、新高輪プリンスホテル、二日目所見)は、彼女の当たり狂言「放浪記」のモノローグから始まった。歌がメインのはずのディナー・ショウとしては意表を突いた幕開きだったが、女優森光子のキャリアを考えれば、これで正解とすぐに納得した。

と同時に、人は唐突と思うかもしれないけど、私はバーブラ・ストライサンドのワンマン・ショウを連想し、心中ひとりでニヤリとしていたのである。

94年6月、ニューヨークはマジソン・スクエア・ガーデンで見たバーブラのコンサートは、第二部の冒頭、映画「追憶」のロバート・レッドフォードとのラヴ・シーンを映し出し、それをバックに彼女が登場するという演出だったが、森さんが「放浪記」で始めるというのは、つまりそれと同じノリではなかろうか。

このコンサートでバーブラは、「追憶」はじめ「晴れた日には永遠が見える」「ファニー・ガール」など自分の主演映画について、さまざまな思い出話を披露して、私たち観客を楽しませてくれた。もっとも、この手のお喋りはバーブラの専売特許ではなく、シャーリー・マックレーンやライザ・ミネリなどアメリカのエンターテイナーならば誰でもよくやる常套手段である。

とは言っても、彼女たちのようにブロードウェイやハリウッドでのキャリアがなくてはでき得る芸当ではない。単なる歌うたいでは、やりたくてもやれないだろう。

森さんのディナー・ショウを見て、日本の歌い手の同じ類のステージがなぜつまらないか、改めてとてもよくわかった。

約二時間後、最後を彼女の代表的舞台のひとつ「桜月記」のさわりで締めるまで、その中身は実に豊富で多彩を窮めた。去年、リリースした「Mitsuko Mori」(ポニーキャニオン)のなかのオリジナル曲はもちろん、「国境の南」「雪は降る」などの外国曲、日本の歌謡曲も「君恋し」から「天城越え」までとプログラムの幅の広さには目を見張らされるものがあった。

曲と曲の間のお喋りも、戦中戦後の苦労話、結婚離婚の話にまで及んだ。竹内まりや作詞の「残り香」を歌う前に、「初めて♪恋も四年過ぎれば/話す言葉とぎれて・・・という歌詞を見たとき、どきりとしました。あたし、四年で離婚しているんです」などと言ってのけるあたり、さすが人生無駄に生きていないと思わせた。

東井紀之、近藤真彦らジャニーズ事務所のスターたち総出演の応援団のまた豪華だったこと。森さんの若さの秘訣は彼等から吸収するエネルギーにあるのだろう。

森さん自身が献立を考えたという和食のフルコース、心が籠もっていて美味でしたよ。

(ORIGINAL CONFIDENCE ’96.2.12)