ジャニーズ事務所とのすてきな関係

安倍:新高輪プリンスホテルでディーナーショウをたった一晩だけ、二晩?

森:二晩やりました。

安倍:メリー喜多川さんがプロデューサーで、あれ、面白かったですよ。

森:ジャニーさんが演出で。

安倍:私は日本のディナーショウはなじめないのですが、森さんのは例外的にとても楽しかった!

森:本当に贅沢なことをさせていただいて。

安倍:ディナーショウなのにお食事は全部和食でしたね。あれがまたよかった。森さんが考えられたのですよね。

森:いえいえ、考えてくださったのはメリーさんです。私はメニューを筆で書いて・・・・。ジャニーズのスターのみなさんが全員、出てくださってね。

安倍:そうそう、ジャニーズの若い人たちがゲストでした。

森:マッチさんをはじめとしてもういっぱいですもの。滝沢(秀明)君と今井翼君はねえ、今、タッキー&翼というコンビでしょ。あの頃から二人でしたね。TOKIOも出てくださいましたし、もちろん少年隊も。

安倍:いやあ、あのショウはすばらしかった。

森:あんな贅沢なことはもうできません。ですからディナーショウは最初で最後です。

安倍:あのとき森さんがね、一生に一回この言葉を言いたかったんですよって、“リリース”っておっしゃった。

森:あっ!よく覚えていてくださいました。ちょっと言ってみたかったのです。

安倍:どうぞ、そのお話を。

森:歌手の皆さんが新曲を出すときに、何月何日リリースって言いますでしょ、あれを言ってみたいなあって。知らなかったのです、リリースっていう言葉。発売でしょ。

安倍:そうです。

森:それが言いたかったのですよ。

安倍:たしか、次の月に、シングル盤がリリースされたんですよね。

森:そうです、そうです。「カーテンコール」。

安倍:それをおっしゃったんですよ。「カーテンコール」、来月何月何日にリリースしますって。

森:歌手に憧れていましたから、一時ずうっと。

安倍:前座の経験がおありでしたからねえ。いかがでしたか?おっしゃってみて。

森:やっと言えたと思いました。

安倍:私は、あのショウとってもよく覚えていまして・・・・。いいところがいっぱいあったんです。特に面白かったのは単に歌だけではなくて、森さんの有名なお芝居のさわりをちょっとやられたこと。

森:はい、最後にね。

安倍:あれがよかった。「放浪記」の一部もありました?

森:はい、女給部屋の長―いセリフを。あれはみんなジャニーさんが構成してくださいました。

安倍:いやあれは、森さんだからおできになることなんですが、舞台の名場面をいくつか入れるっていうのは洒落た趣向でした。

森:全部、ジャニーさんが考えてくださったのです。

安倍:ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでバーブラ・ストライサンドのショウを見たことがあるんですが、同じようなことをやったんですよ。自分の映画のさわりをねチラッと入れるとか。

森:うわあ、そうですか。やっていらしたのですね。

安倍:ええ、僕が、ショウの中で芝居のさわりを入れるっていうのを見たのは、森さんとバーブラ・ストライサンド、二人だけですよ。

森:(可愛く喜んで)やったあ、やったあ。

安倍:若いですね森さん、やったあ、なんて。

森:だって、バーブラ・ストライサンドだなんて、素敵ですものねえ。

安倍:あの、メリーさん、ジャニーさんとはほんとに親戚みたいなお付き合いですけれど、そもそもは。

森:私、「紅白歌合戦」の司会もやりましたし、それから審査員も何回もやらせていただいて、少年隊が初めて「紅白」に出たときも審査員だったのですが、開演前、審査員席に行こうとして、舞台を上手から下手へ突っ切って花道のところで降りようとしたらそこに立っていたのが少年隊の三人組だったのです。それでつい「東山さんでしょ。いつもテレビ見てます」「ダンスが素敵ですね」って一言二言声をかけ、それからです。東山さんは、少年隊のほら背の一番高い子とか、そういうふうに呼ばれているだけでちゃんと名前を呼ばれたことがなかったのですって。とてもうれしかったって言われました、あとでね。

安倍:少年隊じゃなくて、東山さんと名指しで森さんから声をかけられたからですね、なるほど。

森:今でも私は東山くんとは言いません。“さん”付けで呼んでいます。そのときのことがご縁でメリーさんやジャニーさんには、もうほんとうにびっくりするほど、親戚以上によくしていただいています。外国にも連れて行っていただいたし、ブロードウェイも何度も見せていただいて。

安倍:偶然ニューヨークで皆さんと合流したことがあります。あのときも、メリーさん、東山君、ジャニーズエンタテイメント社長の小杉理宇造君というメンバーでした。「ジギル&ハイド」「フォーエヴァー・タンゴ」を森さんと並んで見たのを覚えています。

森:そうでした。

安倍:帰りは一緒の飛行機にしようってことになって。そのときにこのグッチのネクタイを機中でいただいたんです、ニューヨークで買われたお土産のなかから、(と、この日着用のネクタイを森さんに見せる)。安倍さんは、音楽に縁がある方だからヴァイオリンの柄のをって。

森:そんな大事にしていただいて、ありがとうございます。メリーさんには何回も連れて行っていただきました。一週間くらい滞在して七、八本見せていただくのです。前もってストーリーも教えてくださって・・・・。

安倍:森さん中心の観劇ツアーはメリーさんがマネジャー。

森:早くからちゃんとスケジュールを組んでくださいましてね。

安倍:よく世間じゃ森さんはジャニーズ事務所の若いスター達から気をもらっているなんて。

森:よく言われます。でも、先生とか絶対呼ばないでくださいって、言っています。

安倍:メリーさんがジャニーズ事務所の若い子たちまで森さんの舞台を見せているでしょ、あれは彼らにとってすごい勉強ですよ。

森:お陰さまで客席が華やかになります。

安倍:ほかの芸能プロダクションは、若いスターのお芝居の勉強まで面倒見ませんよ。

森:そうでしょうね。

安倍:「放浪記」を東山君なんか何回見てるかわからない。

森:もう何十回ですね。

安倍:東山君とは「御いのち」など共演している舞台もいくつかあるし。いったいジャニーズ事務所とはどのくらいの長いお付き合いでしょうか。

森:もう二十二年くらいになるのでしょうか。

安倍:エンタテイメントの世界の人たちにとって、森さんとジャニーズ事務所の関係というのは、とってもうらやましい、理想的な関係だと思うな。森さんは気をもらい、ジャニーズのほうはお芝居の勉強をさせてもらっている。

森:お陰さまで私はしあわせです。



「忘れられない方々」、そして文化勲章

安倍:駆け足ですけど新興キネマ、前歌の時代、戦後の進駐軍クラブ、民放初期の大阪、菊田さんとの出会い、およその森さんの半生を辿らせていただきました。そうそう、帝国ホテルの文化勲章のパーティーで森さんが述べられた謝辞、あれはおかしかったですねえ。ジャニーさんの話です。

森:そうなんです。ジャニーさんが森さんがよかったねえ、っておっしゃるのです。

安倍:電話かかってきたんでしたっけ?

森:電話が鳴ったのですよ、めずらしく。よかったねえ金鵄勲章、もらってって。そのお話ししたらすごく受けたのです。

安倍:受けた!森さんの会は年齢層の高い立派な方が多いから、とっても受けました。

森:若い方はねえ、ご存じないでしょうけどね。

安倍:ジャニーズ事務所の若者がわからなくて当たり前です。

森:そりゃわからないでしょうね。

安倍:注釈を加えると、あの勲章は神武天皇が持っていた弓に金のトビがとまったという神話に基いているのですよ。戦後は廃止になりました。戦争中でもあれは第一線で戦った軍人しかもらえなかったんですよ。

森:それも日清、日露の戦争の頃ですか?

安倍:太平洋戦争では出たかどうかしりません。私の祖父は日清・日露に従軍しているので功四級をもらっています。金鵄勲章はほかの勲章のように勲何等ではなく、功何級なんです。

森:ジャニーさんもご存じないはずなのです。お父様からお聞きになったのでしょうね。

安倍:ああ、そうでしょうね。元アメリカ軍軍人ですからね、ジャニーさんは。なのに金鵄勲章を知ってるなんて。二世でね、金鵄勲章なんていうのですから。

森:その落差が可笑しいですねえ。

安倍:これは考えたギャグじゃ、ああいうふうに笑いは来ない。それもドッと来ましたよねえ。

森:ビックリしました、あんなにドッと来るとは思わなかったですから。あのとき何をお話しするか、あのとき申し上げたように決めてなかったので、足は震えるし、本当に緊張して。そうだジャニーさんがこうおっしゃったって思い出して。それでほんとうのことを申し上げたらドッと笑いが起きて、ビックリして。あれでちょっとホッとしました。

安倍:森さんでもやはり震えがくることはおありなんですねえ、ステージの上で。

森:ありますぅ。ありますぅ。

安倍:考えられないですねえ。

森:おいでになった方々のお顔、お名前を見て、うわ、こんな方もいらしてる、こんな方もいらしているって、ほんとうにビックリしました。

安倍:森さんも、文化勲章までおもらいになると、もうあともらうものないですね。ノーベル賞に演技賞はありませんから。

森:(ちょっと照れて)そうですね。

安倍:テレビ関係では一番親しかった演出家や脚本家は?

森:演出家はやっぱり去年亡くなった久世さん(久世光彦氏)。もちろん鴨下さん(元TBS演出家・鴨下信一氏)もそうですが、お二人とはテレビドラマの世界を一緒に過ごしてきました。久世さんはお芝居もご一緒させていただきましたし。

安倍:久世さん作・演出の「花迷宮」ですね。やっぱり彼ですか、一番親しいテレビ演出家というと。

森:久世さんが多かったですね。「時間ですよ」が長かったので。あとで聞きましたら二十年続いたそうです。そんなにやったかしらって思ったら、お風呂やさんの“従業員”が時代と共に変わったのですが、後にはとんねるずさんがお出になりましたものね。水曜日の九時からはみんなおうちにいらっしゃるって、サラリーマンの方が。普段テレビを見ない方が、ご覧になったドラマです。

安倍:忘れていました、三木のり平さんのことに触れましょう。「放浪記」は、菊田さん亡くなられた後、三木のり平さんが演出を継がれて、菊田さんの演出をベースにしながら三木さんの新しいアイデアがいろいろ入っているんですよね。

森:五時間もかかっていたのですよね、初演のときは。それを三時間半に縮めたのはあの方の功績ですよね。それもね、初演のときの本とカットした本と二冊並べてページを同じようにめくってみてどこカットしたかわからないのです。そのくらいうまいカットでした。一時間半近くもカットされて・・・・。そうでないと五時間も椅子に座って見ていただけませんものねえ。

安倍:菊田さんが種を蒔き三木さんがその畑に鍬を入れられて、それが文化勲章につながった。森さんの文化勲章で三木さんを忘れちゃいけませんね。

森:はい、忘れられません。どうすれば短くすることができるのだろうって東宝でみなさんおっしゃっていたときに、もう菊田先生はおいでにならないし、三木さんだったら自分の芝居の演出もしていらっしゃるから、短くするならあの方に演出お願いしたいって、私の希望で申し上げたのです。

安倍:グッド・アイデアでしたね。

森:はい、それが成功してうれしかったです。でもなかなかOKが出なかったのですけどね、三木さんから。

安倍:三木さんがうんといわなかった、どうしてなんでしょう?

森:怖かったのですって。「放浪記」はお好きだったそうです。菊田の親父も好きだったっておっしゃってましたねえ。その尊敬している方のものを削り取るなんてそういうこと残酷なことできないって。

安倍:勇気がいりますよね。名作ですしね。でもその短くしたことが、今日あの芝居を長続きさせている大きな原因になっているのです。

森:はい、生き残れないですものね。カットしないと。

安倍:何度見てもあの尾道のところはいいですね。芙美子が尾道へ帰って来て行商一家と出会う場面です。

森:菊田先生も三木さんもね、尾道のところがお好きで、あそこになると知らない間に監督室にお入りになってしまって、出ていらっしゃるときには眼鏡外して涙拭きながら降りていらっしゃるのですって、お二人とも。

安倍:どこもかしこもいい場面ですけど、とくにあそこはいいな。でんぐり返しも大変ですけど。結局計何回でんぐり返しおやりになったんですか?

森:舞台稽古を入れればもう2000回にはなりますね。

安倍:これだけでも大した記録です。いやあ、ありがとうございました、本日は。

森:こちらこそ。ありがとうございました。そういえば安倍さんとのお付き合いも、もうすぐ半世紀です。

安倍:私が二十代からのお付き合いですよ。今、森さんはジャニーズ一家の特別待遇ですが、私もメリーさんジャニーさんと親しいし。7月の少年隊ニュージカルは、私が提案して始まって二十年以上になります。青山劇場が開場して以来、毎年かならずおこなわれる公演はほかにありません。メリーさん、ジャニーさん、森さん、私とつながるご縁が嬉しいのです。

森:私もほんとうに本当に嬉しいです。

安倍:森さんとかね、草笛光子さんとかみんな古いお付き合いですよ。

森:クリちゃん(彼女の本名栗田に由来する愛称)もねえ、元気でいいですよね。

安倍:クリちゃんはどこかで会うと、いきなり指差して同い年、同い年って言うんですよ。

森:まあ、そうですか。

安倍:同い年、昭和8年生まれです。

森:あら、昭和なのですね。昭和なんて若いですよ。

安倍:大正でなくて申し訳ない。

森:お尻が青いですよ、フフフ。

安倍:いやあ、いい落ちがつきました。
(終わり)


2008年1月-3月シアタークリエ公演『放浪記』のパンフレットと、
この対談が載っている私の『喝采がきこえてくる』です。
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