3週間以上前のことだが、日経夕刊(9月21日付け)に、小さいけれどちょっと気になる記事が出ていた。

 見出しは「ソニー・米本社ビル売却検討」内容は以下の通り。

 ソニーが、米国本社などが入居する自社ビル(ニューヨーク市マンハッタン)の売却を検討していることが21日わかった。ソニーは主力のエレクトロニクス事業の不振を受けて2012年3月期まで4期連続の連結最終赤字を計上した。本業との相乗効果の薄い事業の売却など経営効率化を加速しており、米本社の自社ビル売却もその一環とみられる。

 ソニータワーの別名を持つこのビルは、超高層ビルがその威容を競い合うマンハッタンの景観のなかでも、ひときわ目立つ建物である。
所在地はマディソン街550番地、市の最中心部といっていい。

 高さ197メートル、全37階。高さ7階分の広々としたエントランスと、てっぺんの円型というか筒形というか不思議なデザインが、人目を引く。

 機能性よりも遊び心を重視したポストモダン建造物の代表作といわれる。設計は20世紀アメリカの代表的建築家フィリップ・ジョンソンがジョン・バージーとともに受け持った。

 1984年竣工。最初はAT&Tの所有でAT&Tビルと呼ばれていた。ソニーは、10年間リースして使用したのち、完全に自社ビル化したようだ。

 漏れ聞くところによると、売り主は初めからソニーに購入を求めたが、大賀典雄社長(当時)がリース後購入、ただし価格は現在と同じで値上げなしを条件に譲らなかったという。

 しろうとにはわからないが、税金などさまざまな面で得策だったのだろうか。

 オリヴァー・ストーン監督、マイケル・ダグラス主演の映画『ウォール街』(1987)に、投資銀行の超豪華な会議室が出て来る。内装、調度品に目を見張らされるばかりだった。

 この場面は、AT&Tビル時代の役員会議室でロケされたものだそうだ。ソニービルになってからも、この会議室はそっくりそのまま残され使われていたらしい。

 そういえばこんな思い出が甦った。一夜、ソニー創業者のひとり盛田昭夫氏のニューヨークの住まいに招かれたときのことだ。盛田さんがテニスの最中に倒れ、そのまま意識不明になられたのは93年11月だが、多分、その同じ年か前年の92年だったと思う。

 盛田さんのお宅は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に隣接したコンドミニアムのかなり上のほうの階という、すばらしいロケーションにあったので、窓越しにマンハッタンの夜景をたっぷり楽しむことができた。

 盛田さんが、私を窓際に呼び寄せ指呼の間にそびえて立つAT&Tビルを指差し、
 「こんど、あのビルを買うことになってね」
 とつぶやかれたひとことが、今なお私の記憶のなかでこだましている。

 敗戦の焼跡の町工場から世界のソニーを作り上げた盛田さんの胸には、あのとき、ほぼ半世紀近いその間のさまざまな出来事や思い出が渦巻いていたにちがいない。

 今、天上の盛田さんは、マンハッタンのソニービルのネオンが消えかかっているのをどう眺めておいでだろうか。


ことし6月、ソニービルの前での筆者です。
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